世界史オンライン講義録

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003 帝国主義時代のフランス(教科書310ページ)

 

  フランス

対外

帝国主義時代のフランスは第三共和政の時代なのですが,フランスはプロイセン=フランス戦争で隣国ドイツのビスマルクに負けてしまって,敗北直後の政府だったこともあり,とにかく不安定だったんです。負けたばかりの第三共和政ですので,国内に不満がふつふつと渦巻いていたわけで,このときに2つの事件が怒ります。

ブーランジェ事件

戦争に負けたばっかりのフランスでは右翼達を中心として「第三共和政は何をやっているんだ!すぐにドイツにリベンジをしないとダメじゃないか!何もしないのなら,俺たちが政府に成り代わってドイツにリベンジしてやるぜ!」ということでクーデターを起こすのですが,これは未遂に終わります。これをブーランジェ事件といいます。

 
ドレフュス事件

また,右翼的な国民の気持ちがおさえきれずに,ドレフュスというユダヤ人将校が無実であるにもかかわらず,ドイツのスパイだと疑われて逮捕・投獄された事件も起きました。このドレフュスを弁護したのが,ゾラという文豪で,彼のおかげもありドレフュスは無罪となったのです。しかし,課題も残しました。ドイツへのリベンジに燃える右翼によってドイツのスパイだと疑いをかけられたドレフュスですが,彼がユダヤ人であったことがさらに問題をこじらせたのです。「あいつはドイツのスパイだ!しかも,あいつはユダヤ人でもある。」「えーそうなのか!だからユダヤ人って〜」ということで,冤罪事件に加えて差別事件もドレフュスが一身にかぶったということになります。それもこれも,このプロイセン=フランス戦争に負けたばっかりで,ドイツに対する国民感情もあって,国そのものが非常に不安定だったということが背景にあります。

 

内政

フランスはある程度もともと社会主義的な運動がさかんだったので,労働総同盟が成立します。この労働総同盟は,資本家を倒して労働者の世の中を作ろう!社会主義を実現しよう!ということで直接行動による革命(サンディカリズム)をやろうやろうとしたのでした。この動きの中で,フランス社会党が成立していきます。

 

今回はイギリスとフランスの内容をおおまかにみていきました,イギリスは全世界に支配の手を伸ばし,自治を与えて間接支配をしたり,直接支配をしたりして植民地を順調に増やしていくことに成功しました。フランスは植民地を順調に増やしながらも,国民の感情は「悔しさ」で満ち溢れており,ドイツに一発リベンジしたれ!そのためにはフランス政府をのっとってからドイツにリベンジをしようといった右翼の動きや,こいつはドイツのスパイだ!と騒ぎ立ててフランス国民が激昂した冤罪事件・差別事件を生むようになったのでした。今回は以上です。