世界史オンライン講義録

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005 帝国主義時代のアメリカ(教科書314ページ)

帝国主義の復習

第一次世界大戦に至る道筋として,まず帝国主義とは何か?っていうお話をしましたね。帝国主義っていうのは,産業革命が進んでいくと,それぞれの会社が大きくなってたくさんモノを生産するので,それ相応の売り場を見つけたり,原料を安く調達しないと,その会社は倒産してしまうので,国家は自国の産業を守ってあげるためにどんどん植民地を求めていくっていう話をしました。そんな帝国主義の代表格がイギリスやフランでしたね。イギリスやフランスはどこを植民地化していったのかというとアフリカでした。一方,ロシアでは皇帝独裁に対する疑問が沸き起こってきたよっていうお話をしました。それでは今回はアメリカについて見ていきましょう。

 

アメリカの帝国主義

イギリスはどんどんと植民地を増やしていったその裏側で,アメリカでは大規模な内戦(南北戦争)が起こっている最中でした。そんなアメリカも南北戦争が終わって一段落するとあることに気づいちゃったんです。それは世界を見渡してみると,いろんな地域がすでに植民地化されていることに気づきます。だから,アメリカが「さて,いよいよ世界進出だ!・・・っていうか,もう先にいろんな地域が他の国に抑えられているじゃん。これは困ったなぁ・・・。」といった感じでしょうか。

 

19世紀末のアメリ

19世紀末というと南北戦争後。南北戦争によって植民地争いからは出遅れました。しかし,アメリカ自体は,とっても地下資源が豊富であったり,鉄鉱石がとれたり,石炭や石油がとれたりするわけなので,アメリカ国内で非常に資本主義が発展していき世界一の工業国として躍り出ます。そして,もう一つはどんどんと西へ西へと開拓していった結果,未知の領域がなくなります。このことをフロンティアの消滅といいます。このようにアメリカの中でもう開拓すべき場所がなくっちゃったよーってなると,今度は国内でも「これからは外国へ出向いて行くべきなんじゃないのか」っていう動きになり,出遅れながらも帝国主義政策を初めていくわけなんです。こんな感じで,植民地獲得競争にアメリカも参戦することになってしまいます。ではその時代の大統領を何人か紹介していきましょう。

 

マッキンリー大統領

アメリカとメキシコの間にはメキシコ湾があるのですが,そのメキシコ湾からカリブ海にかけて浮かんでいるのがキューバという国です。このキューバってのはスペイン領だったのですが,キューバ自身はスペイン領から独立したがっていたので,アメリカは「今こそチャンス!スペインから独立したがっているキューバを助ける名目で,あわよくばそのまま支配の手を広げてしまおうや!」と考えたのです。このことをアメリカ=スペイン戦争(米西戦争といいます。ここではアメリカが勝利をおさめます。そこでアメリカは何をゲットしたかというと,それまでスペイン領であったグアムフィリピン,そして独立を支援したキューバを監督する立場になります。これらのことが決定されたのがパリ条約です。そして,フィリピンやグアムまで支配の手を伸ばすことに成功したアメリカとしては,今度は中国も狙いたいところなのですが,中国はすでにイギリス・フランス・ロシア・日本が手をつけているので,まずは太平洋に浮かぶ国であるハワイを併合してやろうと企みます。ハワイはカメハメハ大王などで知られるように,いわゆる独立国の形をとっていたので,アメリカは独立国であったハワイを併合して,50番目の州として取り込んだのでした。そして,中国に進出したいが,そこはすでにロシアやイギリスやフランスのものになっていたので,ここでアメリカは国務長官のジョン=ヘイによって門戸開放宣言というものを出します。門戸開放っていうのは,ドアをひらいてくださいよってことです。「ヘイヘイ,中国さんよ!おたくの国はすでにいろんな国が手をつけているみたいだけど,我らがアメリカも中国支配に乗り出したいので,ちょっとアメリカが進出する隙間をあけてくれよ,アメリカも中国の植民地競争に加わらせてくれよ,ヘイヘイ!」っていうことで,ジョン=ヘイさんが門戸開放宣言をだします。このようにマッキンリー大統領の時期には,

 

アメリカ=スペイン戦争

グアム・フィリピン・キューバそしてハワイを併合

中国へ進出

先に多くの国が植民地化していた

門戸開放「ヘイヘイ!門戸を開いてくれよ!アメリカもその競争に加わらせてくれよ!」宣言

 

セオドア=ローズベルト大統領(共和党

(内政)

セオドア=ローズベルト大統領の国内政治は,革新主義といって失業者が多くなりすぎないようの反トラスト法で独占企業の行き過ぎを防止する動きをみせました。

(外交)

そして,今度,アメリカが手を広げる先はやはりラテンアメリカではないかということで,カリブ海ラテンアメリカ諸国へどんどんと植民をの手を広げていこうとするカリブ海政策を行いました。「我らアメリカと仲良くしようではないか?…何?イヤだと?それならば!!」といった感じで,アメリカはラテンアメリカ諸国に対して態度は穏やかではあるものの,相手の出方一つで持っている棍棒を振りかざすような外交姿勢であったのでセオドア=ローズベルト大統領の外交のことを棍棒(こんぼう)外交と言ったります。また,カリブ海政策の一環として,大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河を作ろうということで,アメリカの国費を投入していったのでした。

 

ウィルソン大統領(民主党

民主党はどちらかというと庶民の味方の政党です。資本家やお金持ちが企業をどんどんと合併して大企業を作り,その競争に負けた企業から倒産をして失業者が増えていくわけですから,反トラスト法で潰れる会社を少なくして中・下層失業者を増やさないようにする改革を行いました。そして,ローズベルト大統領のときに着工したパナマ運河がついに完成を迎えます。パナマという国があるのですが,そのパナマには管理権はゆずらずにアメリカが掌握したままにしたのでした。

 

今回は,アメリカは植民地競争からは出遅れてしまったものの,マッキンリー大統領のときにグアム・フィリピン・キューバそしてハワイを併合,中国への植民地競争には参戦しおくれたので門戸開放を宣言し,そして,セオドア=ローズベルト大統領のときには棍棒外交で積極姿勢をしかけていき,パナマ運河が完成してもパナマには管理権は譲らずアメリカが握っていったのでした。以上が帝国主義時代のアメリカの行動です。

 

今回はここまでです。