世界史オンライン講義録

明 日 へ つ な が る 学 び の 場

016 バルカン半島の危機(教科書331ページ)

今回は,第一次世界大戦に至るまでの20世紀初めの国際情勢についてです。

 

20世紀初めの列強の同盟関係についてもう一度確認!

ヨーロッパの国々がついに動きます。当時のドイツがとった行動がヨーロッパの国際関係にどういった影響を与えていくのかもう一度確認していきましょう。まずは,当時のヨーロッパの国際関係について整理をします。

f:id:ten-made-to-be:20190630165603p:plain

当時は,ドイツ・イタリア・オーストリア三国同盟を結んでいましたね。そして,本来ドイツはロシアとの間で再保障条約という形でお互い中立を守ろうとする秘密条約を結んでいました。また。イギリスは光栄ある孤立の立場をとったため,どこともつるまなかったこともあり,フランスを孤立させることに成功しました。ところが,ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世が登場してから,ドイツも海外植民地をゲットしていくべきなんだ!どんどん外へ出ていこう!ということで,まず最初にロシアとケンカすることになってしまいます。そのため,ヴィルヘルム2世はロシアとの再保障条約の延長を破棄してしまうことになります。

f:id:ten-made-to-be:20190630165722p:plain

すると,今まで孤立させられていたフランスは,ロシアとドイツの手がきれたところに目をつけます。「よし!今がチャンス!ロシアと手を結ぶなら今しかない!」ということでフランスとロシアが接近していくのでしたね。ということで,ドイツを挟み込む形で,1891年以降,露仏同盟が成立します。

f:id:ten-made-to-be:20190630165806p:plain

 

そして,再度確認してもらいたいことがあります。それは,ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はある問題を忘れていました。この三国同盟は,強い強固な同盟とはいえません。実は,イタリアとオーストリアは領土を巡ってケンカ状態にあったのです。このイタリアとオーストリアがめぐってケンカしていた場所のことを「未回収のイタリア」といいます。そのため,オーストリアとイタリアは仲が良いというわけではなかったのですね。「未回収のイタリア」問題があったから,実は両国の関係はぎくしゃくしていたのすが,ヴィルヘルム2世はこれを解決せずにロシアにケンカをうる形となってしまったのです。このヴィルヘルム2世がとった舵取りによって一気にヨーロッパの情勢はどんどんと変わっていきます。

 

三国同盟三国協商の対立

いよいよ第一次世界大戦につながる国際関係が出来上がっていきます。さきほど,ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世は,積極的に外に出ていこう,植民地を獲得していこう,そのためにロシアとケンカ状態になった話をしましたね。実は,ヴィルヘルム2世は「もうオレたちは工業国としてイギリスを抜いたんだ!もうイギリスに遠慮することなどないんだ!」ということで,イギリスにもケンカを売ったのでした。そのため,イギリスだって「なんだドイツの野郎…。」とちょっと焦ります。そこで,イギリスははじめて日英同盟という形で他の国とくっつきます。いままでは光栄ある孤立といって,他の国とはあえて手を組まなかったイギリスが,日本と同盟を結ぶことになったのです。

f:id:ten-made-to-be:20190630170003p:plain

これでヨーロッパの国は,「あ!ついにイギリスも同盟を結ぶ状態になったんだ」とドイツのことを嫌いなフランスやロシアがイギリスに接近していきます。たとえば1904年には英仏協商といってイギリスとフランスがくっつきます。

f:id:ten-made-to-be:20190630170045p:plain

さらに,1907年には英露協商といってイギリスとロシアがくっつきます。

f:id:ten-made-to-be:20190630170129p:plain

このように,露仏同盟英仏協商英露協商という形でドイツのことを嫌いな国々が3つくっつきました。

f:id:ten-made-to-be:20190630170202p:plain

この形のことを三国協商といいます。これで見事にドイツを挟み込む形をつくりあげたわけですね。そしてこの三国協商VS三国同盟という形で第一次世界大戦へと突入していくのです。

 

 

「ヨーロッパの火薬庫」バルカン半島

バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」といわれました。 火薬がぎっりしり詰まっています。火種がポトッと落ちればたちまち爆発をするほど危険なバルカン半島。なぜ,バルカン半島がそんなに危険な地域なのかというと,ドイツやロシアの思惑がこのバルカン半島にあったからです。まずパン=ゲルマン主義という考え方がありましたね?すべてのドイツ人の結集により,世界制覇を狙おうとするものでした。つまり,ドイツ人は団結して自分たちの領土拡大に努めよう!そのときに,ドイツやオーストリアの眼の前にあったバルカン半島がターゲットとなったのです。そして,このパン=ゲルマン主義とケンカする形にあったのがパン=スラヴ主義という考え方です。スラヴ民族の統一と連合をめざす考え方なのです。バルカン半島って,スラヴ人が多く住んでいます。「スラヴ人が多く住む地域はドイツのものではない!オレたちスラヴ人のものなんだ!」という考え方です。そして,パン=スラヴ主義の考え方をバルカン半島で声高に主張した国がセルビアでした。このセルビアという国は,バルカン半島におけるパン=スラヴ主義の中心勢力になります。このように,セルビアを中心に「ドイツ人は入ってくるんじゃない!ここはスラヴ人のものなんだ!」そういう考え方が生まれていたわけなんです。そして,同じスラヴ人にはロシアもいます。そのためロシアもこのパン=スラヴ主義を応援することになりますね。

 

そして,このバルカン半島なのですが,情勢が極めて悪化していきます。実は,青年トルコ革命というのがオスマン帝国内で起きましたね。そしてこの青年トルコ革命という国内の混乱に乗じて,まずブルガリアが独立します。さらにオーストリアボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合してしまったのです。さぁ,これは何が問題だったのでしょうか。なんとオーストリアが,無理やりボスニア・ヘルツェゴヴィナを取り込んでしまったのです。まずい,徐々に徐々にオーストリアバルカン半島に進出してきた!これに焦りを覚えたのがセルビアです。「オーストリアがだんだん近づいてくるじゃないか!来るんじゃない!オーストリア!」ってことで,セルビアオーストリアに反発を強めていったのでした。さぁ,このように青年トルコ革命のスキを突いて,オーストリアボスニアヘルチェゴヴィナを併合し,セルビアとの関係もどんどん悪化していきます。

 

さらに,これだけではありません。イタリア=トルコ戦争が勃発します。この戦争は,当時イタリアが弱っているオスマン帝国に勝手に侵入し,無理やりトルコを破ってアフリカ(現在のリビアにあたる地域)を獲得した戦争です。これがなぜバルカン半島の問題に関係あるのでしょうか?地図をみてもリビアは全然バルカン半島じゃないですよね。そうじゃないんです。実はイタリア=トルコ戦争で,オスマン帝国が戦争で弱っているスキをついて,さらにセルビアバルカン半島オスマン帝国の領土を奪い,領土を拡張しようとしたのです。「弱っているぞ,トルコは。今がチャンスだ!」ということで結成されたのがバルカン同盟です。この同盟は,セルビアブルガリアモンテネグロギリシアのグループに,ロシアが間接支援を加える形で出来た同盟です。なんと,イタリア=トルコ戦争で弱っているオスマン帝国にバルカン同盟は戦争をしかけます。それが1912〜13年の第一次バルカン戦争といいます。この第一次バルカン戦争では,バルカン同盟の国々VS弱っているオスマン帝国といった構図です。もちろん,弱っているオスマン帝国には為す術はありません。バルカン同盟が勝って,オスマン帝国は敗れます。この結果,バルカン同盟はオスマン帝国の領土をさらに縮めることに成功します。

 

ところが,この領土の配分を巡って仲間割れが起こります。「おい!お前,ちょっと取り過ぎじゃねぇのか!」「何をいう!ここは私たちが直接占領したんだよ。いいじゃねぇか」「だめにきまってんだろ!」みたいな仲間割れが起こっちゃうわけですね。それが第二次バルカン戦争へと発展していきます。この時の仲間割れは,セルビア・モンテネグロギリシアVSブルガリアといった構図です。しかも,このセルビア・モンテネグロギリシアには周りのルーマニアも味方にまわります。結果,ブルガリアは孤立をし敗北,勝利したのがセルビア・モンテネグロギリシアとなります。つまり,第二次バルカン戦争は仲間割れを起こした結果,ブルガリアがいじめられたということになりますね。ちなみに,このバルカン戦争で敗北を喫したオスマン帝国ブルガリアはこう思うのです。「くっそぉ!!セルビアの野郎ども,ムカつくなぁ」って。そして,このセルビア・バルカン同盟のバックについている「ロシアムカつくなぁ」ってなるわけです。トルコとブルガリアはこの後,三国同盟側であるドイル・オーストリア側へ接近するということを覚えておいてください。