世界史オンライン講義録

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041 ナチス・ドイツの動向

前回登場したヒトラーはついに国民の期待に応えます。それが今回取り扱うナチス・ドイツの動向です。今回は,実際にヒトラーが国民を救済していく様子,そして国民を団結させていく様子を勉強します。実際に人々の期待に応えることができたんですが,このようにファシズムというのはイタリアから始まりドイツにも影響を与えた政治思想でして,日本と同じように軍事力を使って植民地を広げていこうという動きをやがて取るようになります。一見危なそうに見えるこの考え方なんですが,実は当時のヨーロッパの国々はこのファシズムの考え方を歓迎していたんです。それは何故か分かりますか?そう!ファシズムの考え方を実はイギリスもフランスも暗黙の了解でよしとしていたんですね。それがファシズムの思想の一つ社会主義を潰すということです。

 

ある国だけ世界恐慌発生時から工業生産力下がってない国があります。おそらく皆さんもわかるでしょう?そう,ソ連なんですね。そして,このソ連というのは当時社会主義国家です。ロシアで革命が起きて,この地域は社会主義になってます。そして,このファシズム政党のナチス・ドイツというのは社会主義を潰してやるって事になるんです。世界恐慌が起きてもなんらダメージを受けていないソ連だけども,ひょっとしたらヒトラーたちはこれをつぶしてくれるんじゃないか?イギリス・フランスはいつのまにかナチスドイツに期待を寄せるようになったんです。

 

ナショナリズムを利用した政治

まずは言葉の確認です,当時ヒトラーが政権を獲得してました。ヒトラーが率いた政党のことをナチ党と言います。そしてそのナチ党のやり方を支持した一般の人々を含めてナチスと言い方をしましたね。このナチスドイツなんですけれども,まず国民を魅了した政策の一つが経済政策でした。ヒトラーは政権獲得に当たって国民の生活安定を掲げていたのです。そして,そのヒトラーが経済政策でもって国民を魅了しました。例えばアウトバーンの建設です。アウトバーンというのはドイツーオーストリア間を接続した 高速道路です。この高速道路建設にあたって,一種の公共事業としてヒトラー失業者を大量に吸収していきます。人々に仕事を与えたんです。さらに1930年代の後半からは 4カ年計画といって,軍事優先の生産活動を行います。つまり,人々の生活よりも武器を作ることを中心にしたんです。でもその兵器工場でさらに多くの労働力を吸収したので,どんどん失業者は減っていったんです。ヒトラーが政権を獲得してからは安定した収入を得る家庭というのが圧倒的に増えた。これがヒトラー人気の一つなんです。

 

さらにヒトラーは,国民をまとめるためにナショナリズムというのを利用していきます。 「僕たちは同じドイツ人だよ」「ドイツ人以外は的なんだよ」というやり方でして,中でもヒトラーが敵視したのがユダヤでした。 ヒトラーユダヤ人排斥を掲げて自分たちドイツ国民以外のユダヤをいじめることによって「俺たちはドイツ人なんだ」という自覚を促していきます。特に,ナチスドイツで行われたユダヤ人大虐殺これをホロコーストという言い方をします。各地にゲットーという強制隔離居住区を作り,ユダヤ人たちをそこに押し込めていくんです。なお,強制収容所というのを各地に設立し,ヒトラーは最終的にユダヤ人を強制収容所に送り込んでユダヤ人を絶滅させようとしたと言われています。現在,ナチスドイツが作った強制収容所ですが,負の遺産として現在ではポーランドアウシュビッツにある強制収容所ユネスコ世界遺産に登録されています。ナチスドイツがどれだけユダヤ人をいじめていたのか,その悲惨な歴史を明らかにするための収容所として現在でも世界遺産になっているんです。

 

このようにヒトラーは経済政策で人々を魅了し,さらには国民意識を使うことによって ドイツ国民の団結力というのを生み出したのですが,その陰にはユダヤ人の多くが排斥されていたということを決して忘れてはいけ ません。

 

ヴェルサイユ体制の打破

まずはナチス=ドイツのヒトラーが政権を獲得してからは,まず全ヨーロッパの軍備の平等権というのを主張します。「ドイツだけ軍備制限をかけられているのはおかしい!ドイツもイギリス・フランス並みに軍備を増強していいか?」という要望に対し,国際連盟の答えは「NO!」でした。そこでヒトラーはもうこの連盟にいる必要はないということで国際連盟を脱退します。これで第一次世界大戦後,国際連盟を脱退した国は日本に次いで2番目となります。そして国際連盟を脱退した後に,まずザールを編入します。ザール編入は武力によるものではありません。実は,第一次世界大戦後このザール は,国際連盟管理下の自由市となってました。15年後に住民投票を行って,ドイツ領になるかフランス領になるかを決めなさい,というものでした。そして ヴェルサイユ条約から15年だった1934年に住民投票が行われ,ドイツ領になることが決定されたのです。これによってザールはドイツ領になります。ちなみに位置をちょっと確認しましょう。

 

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さてこのようにドイツはこのザールを編入,さらにその後ヒトラー再軍備宣言を行います。ドイツはもう軍備制限はしない!また昔のように軍隊を整えるんだ!ってことで, 徴兵制を復活し軍備を増強することを宣言します。このヒトラーの動きに対してもちろん周りの国々は警戒します。

「おい聞いたか?ヒトラーのやつ,軍隊を復活させるらしいぞ?あいつら一体何をする気なんだ?」

このヒトラー再軍備宣言に対して,ヨーロッパ諸国の対応をみていきましょう。

 

まず一番焦ったのはフランスです。そりゃそうですよね?第一世界大戦が終わってドイツをコテンパンにいじめたわけですからね。 フランスは「ひょっとするとドイツは再軍備をして俺たちに復讐するんじゃないか?」と焦りました。慌てたフランスは,仏ソ相互援助条約というのを締結します。ドイツの後ろにいるソ連と手を組みます。つまりドイツその後ろにいるソ連と手を組むことで,地理的にもドイツを挟み撃ちにしたんです。ちなみにちょっと細いんですが,さらにこの後フランス・ソ連はドイツのすぐ下にいる チェコスロヴァキアやとも同盟を組みますので,完全にドイツを挟み込む形を取ります。このことからもフランスが相当警戒していたことがわかりますよね 。

 

一方イギリスは,この動きに対して「ドイツの再軍備?別にいいんじゃないの?」と容認しました。イギリスは英独海軍協定というのを締結し,ドイツの再軍備を事実上容認したんです。それにしてもなぜイギリスはここで ドイツの再軍備を容認したのでしょうね。それは,今フランスがソ連に接近しましたね?ソ連を頼りましたよね?このままだとソ連の影響力が拡大するかもしれません。社会主義国の影響力がどんどん拡大するかもしれませんので,イギリスは焦ったんです。そこであえてイギリスは,フランスがソ連を頼るのなら,イギリスはドイツの再軍備を容認してしまおうと考えたのです。このようにしてヒトラー再軍備を事実上認めたイギリスの曖昧な政策が,やがてナチス=ドイツの暴走を許すことになってしまいます。

 

そしてヒトラーはこの後,ラインラントへと進駐します。ラインラントって一回授業でも登場してきましたよね?そう!「ここには軍隊は入れないぞ!」といった内容のロカルノ条約でした。そのロカルノ条約で誓ったのにも関わらず,ラインラントに軍隊すすめ,西ヨーロッパの安全をかつてみんなで保証したロカルノ条約はここで破棄される形になります。

 

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ドイツは再軍備宣言の後に,フランスとの国境線であるラインラントに軍隊を入れます。完全に国境線までドイツ軍が敷き詰められる状態となるフランスとの緊張関係がここで生まれたということです。このように暴走を続けるヒトラーなんですけれども,この時みんなでヒトラー再軍備を潰していれば第2次世界大戦は起きなかったかもしれません。しかし,ソ連に接近したフランスといった動きを受けて,逆にイギリスはドイツを支援したました。ファシズム社会主義をつぶすという考え方を持っていますので,イギリスはそれに期待をしたのでしょう。だからヒトラー再軍備を認めたのでしょうね。