世界史オンライン講義録

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038 イギリス・フランスの対応

前回は世界恐慌アメリカの対応はあまりうまくいかなかったというお話でした。では,逆に他の国々はどうだったのか,今回はイギリスとフランスの対応を見て行きます。特に,イギリスというのは世界恐慌を乗り切るにあたって,「俺はたくさんの植民地を持っているんだからもう植民地としか貿易をしない!」といったように,今までいろんな国と貿易をしようって言っていたイギリスが植民地と以外は貿易しない方針をったのでした。「おい!植民地!!俺の製品を買え!!!他の国の製品を買うな!!!!」っていう貿易政策に切り替えてきます。そして,このイギリスの貿易政策のことブロック経済と呼ぶんだけど,このブロック経済後にフランス・アメリカも真似するようになります。そのためイギリスの世界恐慌への対応というのは各国のモデルになってきます。実際,イギリスは1929年からちょっと下がっていくんですが,やがて回復して1935年の時点では工業生産数が完全に回復してます。このように植民地を持っている国々というのは植民地との貿易によって助かったわけです。

ちなみにフランスも残っていますが,結局フランスはイギリスの真似をしただけですよね。そして,世界恐慌への対応は実はグダグダでした。なのでフランスは基本的にイギリスの真似をするようと覚えておけばいいんです。では詳しくみていきましょう。

 

イギリスの対応

イギリスは自由貿易路線を止めるために,あれだけ自由貿易自由貿易!って言っていたいたのに,世界恐慌を迎えるとこの自由貿易をやめてしまいます。まずは,世界恐慌という経済混乱は,もちろんイギリスにも波及しました。

第2次マクドナルド内閣

有名な企業が倒産し,今まで以上に失業者が増えていく,そういう最中に経済の立て直しに打って出たマクドナルドが再び内閣を作ります(第2次マクドナルド内閣)。ちなみにマクドナルドは,労働党の政治家です。労働党というのは社会主義政党でせいて,失業者や労働者といった貧しい人たちを助けるための政党なんです。このマクドナルドにイギリス国民は期待したんです。ところがマクドナルド非常に頭を悩ませました。というのも,あまりにも失業者が多い…。そのため助けてくれよ!という形で失業保険の支払いの額がどんどん増えていったんです。失業保険とは,仕事を失った時にクビになってしまった時に次の仕事が見つかるまで一定期間国からお金をもらう制度のことです。ただ,あまりにも失業者が増えちゃったので政府はどんどんお金を渡さなきゃいけなくなった。このまま行くとお金がなくなってしまいますよね。そこでマクドナルドは思い切って失業保険の削減に踏み切ります。「みんな,ごめん!失業保険の金額をちょっと減らさせてもらうよ」と言ったんです。これがまずかった。マクドナルドは労働党の人ですよね?労働党は,失業者の味方であって,何があっても失業保険を削減したりしてはいけないはずなのにそれをやっちゃった。労働党の反対を受けて「マクドナルド!!お前なんてもう労働党の人間じゃねえ!!やめちまえ!!!」という形で総辞職し,内閣を解散し,労働党もクビになってしまいました。

 

マクドナルド挙国一致内閣

しかしながら,クビになったんですけれども他の政党の人たちが「マクドナルドさん!!お前の改革は勇気のあるいい改革だと思うよ!!もう1回総理大臣やれよ!!」という形で再度こちらマクドナルド挙国一致内閣が成立します。労働党をクビになったマクドナルドは自由党・保守党の連立政権の首相として招かれます。そして彼は,世界恐慌に対応していく形をとるんですね。

 

金本位制中止

ちなみに彼は,金本位制を中止しました。ここで金本位制とは一体何かを説明しておきます。まず,紙幣を頭に思い描いてください。一万円札,五千円札,千円札,何でもいいですよ。この紙幣をお金と認識するのって結構難しいもんなんですよ。皆さんは生まれてきてから紙幣をずっと使ってるので,それがお金だって何も疑いなく信じいるでしょ?でも,そもそもあれって紙切れですよね。ただの紙をお金と認識させるのって実はすごく難しいじゃないですか?そこで当時各国がとっていたのが,「金」と交換をすることによってその紙幣の信用度を保ったのです。もしこの紙幣がお金と思わないんだったら,銀行に持っていきましょう。そうすると,すぐ目の前で金と交換してもらえます。このように金との交換を約束することで,初めてこの紙幣はお金となるんです。実際に,人々が金を持つんじゃなくて,金の代わりとなる紙幣を持っている状態ですね。これを金本位制といいます。このようにしてお金を発行していたんですが,イギリスは当時自由貿易によってイギリスの紙幣でポンドって言うお金を持っていて,ポンドが世界各地には散らばってました。しかし,世界各地の国々が,「ポンドいらないから金と交換してくれよ!」って言われると,イギリスからどんどん金が出ていきますよね。間違って金がなくなってしまうと,新しい紙幣を発行できなくなってしまいます。そのため金本位制を停止したのですん。金と交換するのやめました。このようにして金が国外に出て行くのを防いだのです。

 

ブロック経済

そしてイギリスは,今までの貿易スタイルをさらに変えます。「もう他の国と取引はしない!俺には植民地があるんだから,植民地と貿易をすることによって経済回復を狙うんだ!」ってことで,カナダのオタワで会議が開かれました。これを,オタワ連邦会議(イギリス連邦経済会議)といいます。で,このオタワ連邦会議の中でイギリスはいいました。「イギリスは,これ以降をいろんな国との貿易はやめます。自治領もしくは植民地との貿易のみで十分です。だから,自治領や植民地のみなさんは,僕たちイギリスに協力してくださいね!」と。そして,イギリスが作り上げた新しい貿易スタイルのことをブロック経済といいます。本国と植民地,もしくは従属地域による取引です。そしてイギリスのブロック経済のことをスターリングブロックもしくはポンドブロックといます。このようにしてイギリスは,世界恐慌を乗り切ろうとしたんです。

 

 

フランスの対応

さて,そんな世界恐慌ですが今度はフランスはどう乗り切っていたのか見ていきましょう。イギリスのブロック経済に習ってフランスも真似をします。当時のフランスの通貨をフランと言います。そのためフランスのブロック経済フランブロックと言うんです。けれどもこれを行ったぐらいで国内改革自体は非常にグダグダでした。と言うか,フランス自体ちっちゃな政党がたくさん分かれている状態でしたので,まとまって対策するということができなかったんですね。ちっちゃな政党が分立状態で政局は不安定だし,内閣もコロコロ変わってしまいました。これを受けて,やがてフランスでは,何とファシズム勢力が拡大してたんです。あのファシズム勢力イタリアのムッツリーニが作ったファシスト党と同じ政治的な考え方を持ちます。「絶対に共産主義社会主義にはさせないぞ!むしろ共産主義社会主義の考え方を潰したいんだ!」っていうファシズムの考え方が次第に芽生えてきたんです。このファシズム勢力の拡張に焦りを覚えたのはフランス国内の社会主義政党たちです。フランスの社会主義政党はこのファシズム勢力を抑圧するために人民戦線というの結成します。フランス社会党・急進社会党フランス共産党,つまりこの人民戦線というのはファシズムのことが嫌いな連中がみんなで力を合わせたんです。社会主義者だけじゃなくてファシズムの個人の自由を抑圧する姿勢を嫌う人たちも合流します。そして,ついにこの人民戦線が内閣を作ります。これはブルムという人がリーダーになって作られた内閣なのでブルム人民戦線内閣といいます。こうしてフランスは世界恐慌の対応がグダグダしてしまったので,やがてファシズム的な連中が出てくるんですね。それを抑え込むために人民戦線というのが形成され,やがては内閣を作るに至る,これがフランスの強行を乗り切る方法だったということを覚えておきましょうさ

 

まとめ

フランスのグダグダ感はありますが,まぁ植民地を持っている国は世界恐慌切り抜けることにある程度成功していきます。じゃあ植民地を持っていない国つまり持たざる国はどうなるんでしょうか?「俺たちは植民地持ってるから助かったぜ!」って言う世界があるのであれば,「じゃあ俺たちにも植民地よこせや!」てなりますよね。植民地を持たざる国はやがてそういう軍事力に頼って植民地を求めて外へ外へと出て行こうとします。それを次回紹介していきたいと思います。