世界史オンライン講義録

明 日 へ つ な が る 学 び の 場

042 ファシズム諸国の動向

イギリス・フランスはいつのまにかナチス=ドイツに期待を寄せるようになったというお話をしました。そして今回は,日本・ドイツ・イタリアの協力体制(日・独・伊防共協定)というのが築かれていきます。日本・ドイツ・イタリアがくっついて行くのに,イギリスやフランスは文句を言わないのですが,それは「あいつらが手を組んだのはきっとソ連を倒してくれるからだ!絶対にソ連を倒すから手を組んだに違いないんだ!」と黙認していたんです。

 

コミンテルン第7回大会(1935)

そもそもファシズムの考え方が社会主義共産主義を潰すという考え方でしたね。それに危機感を覚えた各国の共産党が,協力体制を取るようになっていきます。だって共産党からしたら一大事ですよ,これ。イタリアのムッソリーニに,ドイツのヒトラーファシズム的な政党は社会主義共産主義を目の敵としていきます。このままだったら本当に社会主義の考え方が潰されてしまいかねません。そこでコミンテルン第7回大会の時に,「味方でないものは敵だ!」というスタンスから「敵でないものは味方だ!」という風に変わります。今までだったら,社会主義共産主義の考え方以外のものは敵だ!我らに同調できなければ潰すというやり方だったんですが,もう敵でないものは味方だ!としました。この敵というのはもちろんファシズムのことです。

 

このようにコミンテルン第7回大会で,各国の共産党はあらゆる反ファシズム勢力と力を合わせようと,このような形で方針を変えます。そして,このようにできた組織のことを人民戦線と呼ぶんです。実際に人民戦線ができた国としては,世界恐慌の後のフランスですね。これは世界恐慌のフランスの対応で見てきましたブルームという人物がリーダーとなって,人民戦線内閣ができたのでした。

 

スペイン人民戦線の結成(1936) 

フランスだけではありません。スペインでも人民戦線内閣ができます。スペインなんですが,世界恐慌のさなかスペイン=ブルボン朝が崩壊し,スペインは共和制(王様のいない)時代になっていくのです。そんな中,ファシズム的な政党が勢いを拡大していきます。「まずい!このままではスペインがファシズム化してしまう。ファシズムを押さえ込まなければならない! 」ってことで,スペインでファシズム嫌いな連中が人民戦線内閣を築きます。その時のリーダーの名前をサーニャといいます。人民戦線内閣が成立し,社会主義的改革を推し進めてファシズム社会主義的な改革を推し進めてファシズムが勢いを拡大するのを抑え込もうとしたんですね。このようにファシズムの台頭を受けて,各国の共産党が, 今までの路線を変えていったということを。しっかりと覚えておきましょう。

 

 

ファシズム国家の同盟がついに完成

まずファシズム国家の中でも当時ヨーロッパで国際的な孤立を進める形になっていたのがドイツです。国際連盟を脱退し,再軍備を宣言ラインラントに進駐して,ロカルノ条約を破るなど完全にドイツは今ヨーロッパで孤立していましたね。

 

そのドイツを追いかけるように今度はイタリアが動きます。なんとイタリアは,エチオピアへと侵入を開始します。恐慌による国内の経済危機から国民の目をそらすためにおこなわれたのです。イタリアのムッソリーニは正直焦ってました。「経済は俺に任せろ !その代わりお前らは黙ってろ!」ってやり方をとったんですが,実は景気回復がうまくいきませんでした。そのためイタリアのムッソリーニは,戦争を行うことによって国民の不満をそらそうとしたんです。しかし,これは国際連盟に怒られました。「おい!イタリア!何を勝手なことしてるんだ!!」ってことで,国際連盟はイタリアに経済制裁を実施します。これで徐々にイタリアもドイツに次いで国際的に孤立していくのです。ドイツとイタリアは浮いた存在になってしまいましたね。

 

そして,そのイタリアとドイツが孤立した状態だったのですが,内戦をきっかけに急速に仲良くなりました。その内戦というのがスペイン内戦です。スペインではアサーニャいう人物をリーダーに,人民戦線内閣が成立しましたが,このアサーニャ社会主義的な改革を率先して行なって行ったんです。ところが,このアサーニャの改革を快く思わない人たちもいました。そういう人たちの不満を背景に軍人フランコが暴れます。このフランコなのですが,実はファシズム的な政党の支持者だったんです。フランコはどちらかと言うとファシズム的な人間ですし,彼が率いていた政党もファシズム政党だったんです。ちょうど敵対する形となります。

 

そしてスペインは,このサーニャvsフランコの形になってしまいました。そして,このスペインの内戦にいろんな国々が干渉してきます。まずフランコ側にはドイツ・イタリアといったファシズム国がつきます。一方,アサーニャ人民戦線側には,ソ連および人々の自由を守ろうとする国際義勇軍いわゆるボランティア軍ですね。そこにアメリカの作家ヘミングウェイも参戦します。このような形でヨーロッパの国々が干渉を行ってきたんです。

 

スペイン内戦

フランコ】ドイツ・イタリア・・・ファシズム

   VS

サーニャソ連,国際義勇軍(米:ヘミングウェイ)・・・社会主義

 

この形,どうですか?フランコVSアサーニャ…よーくみてみると,ファシズムVSソ連,つまりファシズムVs社会主義国の形をとっていることに気付きますでしょうか。これでヨーロッパの他の国々は「ひょっとしたらドイツとイタリアはソ連を倒してくれるんじゃないかな?」っていう浅はかな期待を持ってしまいます。その結果,なんとイギリスとフランスおよびその他の国々合計20カ国以上が不干渉政策というのを取ります。「スペイン内戦にはうちらは一切タッチしないんだ」という宣言をしました。なぜ介入しないのでしょうか?イギリス・フランスはファシズムの反社会主義の考え方に期待してしまったんです。そのためイギリスとフランスは 動かないという形をとったんです。

 

これでヒトラームッソリーニは気づきました。「ほらみたことか!イギリス・フランスが動かないのは俺たちの反ファシズム主義に期待してるんじゃないか!?」ということに。これで当時国際的孤立を深めていたドイツとイタリアが急接近します。俺らは何をやってもイギリスやフランスに怒られない。そこでヒトラーはあえてベルリン=ローマ枢軸といってドイツとイタリアが同盟関係を結びます。さらに,これに日本を加えます。アジアでは日本は今孤立してましたよね。日本も国際連盟を脱退し満州事変を起こしていたので他の国々から睨まれてました。そこで日本・ドイツ・イタリアで三国防共協定というのが成立したんです。この日独伊防共協定が,どれだけ当時のヨーロッパの人を魅了しのか地図で確認しましょう。

 

f:id:ten-made-to-be:20200213173040p:plain

 

ドイツとイタリアを結んで縦に線を引っぱりましょう。そして,日本とドイツとイタリア防共協定でくっつきましたよね。で,日=独=伊の間にある国はどこですか?そう,ソ連ですよね。つまり挟み込んだ状態です。防共っていう意味は「共に防ぐ」ってことではないのです。「防ぐ」のです,「共」産主義を。つまり,この同盟は社会主義を挟み込んでブロックすることを意味していたのです。これで完全にイギリスをはじめとするその他の国々は動けなくなりました。「ヒトラームッソリーニと日本は,ソ連を倒すために同盟を結んだようだぞ!きっとソ連を倒してくれるぞ!」って誰もがみんな期待したんです。そしてイタリアもついに国際連盟を脱退します。日本・ドイツについでイタリアは3番目の脱退国になります。このようにして,スペイン内戦を通して日本・ドイツ・イタリアの利害が 一致したということなんです。防共を掲げていれば他の国が文句を言ってくることはないってことがわかったんです。

 

でも,実際にこのファシズム諸国は危険な国々でもありました。それを象徴する出来事がスペイン内戦の結果です。このスペイン内戦を通して,当時のドイツ軍が,ゲルニカを無差別爆撃を行います。ゲルニカ村の一般民衆を襲ったのです。この様子を見た画家のピカソは,この時の怒りとファシズム国家の危険性を訴えるべく『ゲルニカ』という絵を描きました。20世紀最大の名画と言われます。ここでファシズムの危険性をピカソが訴えていたのに,イギリスをはじめとするヨーロッパの国々はファシズム国家の暴走を止めることができなかったのです。そして最後,首都マドリードが陥落し,勝者はフランコです。サーニャ人民戦線内閣が崩壊し,スペインにもファシズム的な政権が樹立したということです。