世界史オンライン講義録

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025 国際協調主義(教科書341ページ)

今回は,国際協調主義に向けての動きです。みんなで仲良くしよう!みんなで争いごとはやめよう!そのように動いていくヨーロッパの国々見ていきましょう。今回のポイントは大きく2点あります。

 

ヨーロッパはみんなで仲良く!?

まず1点目は, 第二次世界大戦を反省したヨーロッパ諸国の「もう二度と世界対戦を起こしてはいけないんだ」といった動きが見られます。 こういった動きのことを国際協調という言い方をします。みんなで仲良くお互いを尊重しよう!そんな中でも第一世界大戦後, 平和に向けての取り組みとしてロカルノ条約があげられます。このロカルノ条約では,西ヨーロッパの安全保障を規定したものです。具体的にいうと,「領土に関しては現状維持」「国際紛争解決で武力は使わない」といった内容を,西ヨーロッパの国々が結んだ条約のことをロカルノ条約といいます。そして,このロカルノ条約にドイツももちろんサインをします。ドイツの外務大臣シュトレーゼマンは,ロカルノ条約にサインをする「第1次世界対戦に負けたし,その後結んだベルサイユ条約の内容は尊重するし,領土変更に関しても文句は言いません! だからその代わりに,ドイツも仲間に入れてくれよー!」ということで,ロカルノ条約発効の条件としてドイツの国際連盟加入を認めさせたのです。そのため,このシュトレーゼマンは,戦後ドイツの地位向上に力を尽くした外務大臣として有名です。

 

さらに,このロカルノ条約以外にも,よりたくさんのヨーロッパそしてアジア,アメリカを含んだ国々が不戦条約を締結します。この不戦条約というのは,アメリカの国務長官ケロッグとフランスの外務大臣ブリアンの話しあいによって作られた条約です。「国際紛争の解決に武力を使わない!問題の解決に無力を使うことはしないんだ!」ということを誓い合ったのがこのケロッグとブリアンの不戦条約なんです。ちなみに,この「国際紛争の解決は武力によらない」といった条文は,実は第二次世界対戦後の日本国憲法にも反映されてます。このように国際トラブルを平和的に解決しようという誓いを立てたんです。

 

そして,世界大戦を反省して軍備の縮小もまた行われていきます。それがロンドン軍縮会議と言います。このロンドン軍縮会議では,補助艦の保有比率を定めます。気をつけたいのは,ワシントン会議で結ばれた海軍軍備制限条約では主力艦の保留比率でしたね。今度はいわゆるサポート艦隊のことですね。補助艦の保有比率を,米:英:日=10:10:7といった形で露骨に日本の補助艦の保有比率を下げられてしまったんです。日本は「これは国際協調のためだ!」と言って泣く泣く調印したんですが,逆に日本の海軍の反発を買いました。徐々に日本では軍部が力をつけて,このロンドン軍縮会議に反発する動きが出てきてしまうんです。ここはかえって裏目になってしまいましたね。国際協調に名を借りて平和にしよう!軍備を制限しよう!とする中で,日本の軍部が台頭してくることになります。

 

 

第一次世界大戦後のドイツ賠償問題の行方

2点目は,ドイツを苦しめたお金のトラブル「第1次世界大戦後のドイツ賠償問題の行方」を見ていくことにします。みんなで仲良くしようと言いながらドイツだけがひたすら苦労していたお話です。「払えるわけがない!!」とするドイツを苦しめたお金のトラブル見ていきましょう。

 

さて,第1次世界大戦が終わりまして,ドイツはヴェルサイユ条約を締結しましたね。このヴェルサイユ条約ではドイツの賠償を規定したんですが,この後に何と賠償総額1320億金マルクに決定してしまいます。はっきり言って当時のドイツに払えません。ドイツは,第1次世界対戦で街が荒廃して経済が下向きな形になってしまっています。しかもこの金額というのは,当時のドイツの国家予算の何十年分に相当するのです。だから払えるわけがないんですよね。実際に,ドイツはこの賠償金をすぐ支払うことができなかった…。そうすると,大激怒したのがフランスです。

 

なんとフランスはベルギーとタッグを組んでドイツの工業地帯ルール地方を占領します。「おい,ドイツ!賠償金が払えないんだったら,ここで物を作らせてフランスがタダで持ち帰るけど文句言うなよ!」としたんですね。もちろんこの政策に対し,ドイツ側は抵抗します。「いくらなんでもフランスさん,それはやりすぎですよ!」ということで消極的抵抗を示します。この消極的抵抗というのは具体的にいうと,このルール地方で働くドイツ人労働者に「仕事はするな!モノも作らないでくれ!」とドイツ政府は呼びかけたのです。そして,実際にルールという大工業地帯が生産を停止したことによって物不足に陥ると,モノの値段が上がる,いわゆるインフレーションが激化してしまったのです。これは大変ですよね。ドイツは経済混乱を迎えてしまったんです。このままだとフランスとかだけではなくドイツも潰れてしまう。そこで,アノ国が動きます。

 

そう,アメリカが動いたのです。アメリカは,まずドーズ案といって,アメリカがドイツに対してお金を貸します。すると。ドイツはこのお金を使って戦後復興を遂げます。そしてドイツはこの後イギリス・フランスに賠償金を支払っていきます。そして,イギリス・フランスは経済復興すると,第一次世界大戦中にアメリカから借りていたお金を返して行きます。どうですか? 誰も損はしてませんよね?このように,アメリカが中心となってドイツ,そしてイギリス・フランスの経済復興を手伝う形になったんです。これがドーズ案です。このドーズ案をドイツが受け入れたことによって,フランスもルールから撤兵します。そして,そのあとヤング案というものを採択して賠償総額が減額されます。実際にドイツが払えるような額に合わせようとヤング案が採択されたんです。

 

しかし,この関係性を崩したのが世界恐慌です。アメリカで始まった金融恐慌が,ヨーロッパにも広がり,世界恐慌が訪れます。そして,世界恐慌によってお金に余裕のなくなったアメリカはフーヴァー=モラトリアムを発動したんです。各国の賠償支払い,対米戦債支払いを1カ年停止しようとしたのです。つまり,あのドーズ案の流れを1年止めよう!と言ったんです。

 

しかし,このフーヴァー=モラトリアムは,かえってドイツ・イギリス・フランスの経済を圧迫する形になってしまったんです。せっかくドーズ案,ヤング案によってドイツの 賠償問題は解決していくかに見えたのですが,世界恐慌によってそのうまく回りかけていた歯車が止まってしまう形となってしまいました。