世界史オンライン講義録

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020 社会主義国家の誕生(教科書337ページ)

今回は史上初の社会主義国家が誕生していく様子をみていくことにしましょう。

 

臨時政府を打倒→全ての権力がソヴィエトに

さぁ、臨時政府をぶっ壊しましょう!みなさん、思い出してください。前回の授業では、ソヴィエトのリーダーであるケレンスキーが臨時政府の首相になりました。これで戦争を終わらせてくれると誰もが期待しました。しかし、ケレンスキーは終わらせなかったんですね。人々は失望してしまいました。「なんで戦争を終結させてくれいんだ…。だったらレーニンなら終わらせてくれるんじゃないか?」そういう期待が巻き起こったのです。

 

そこで、レーニン率いるボリシェヴィキ武装蜂起を行います。これが1917年のロシア十月革命でした。そして、このボリシェヴィキ武装蜂起によってついに臨時政府が消滅し、史上初となる社会主義国家が今ここに誕生したのでした。そして、レーニンは「オレたちが勝利した!臨時政府がなくなったぞ!全ての権力がソヴィエトに集まったぞ!」と全ロシアに呼びかけます。これをを全ロシア=ソヴィエト会議とよび、臨時政府打倒とソヴィエト権力の樹立を宣言しました。

 

そして、レーニンが指導権を持って、社会主義国家にむけての改革を行います。たとえば、「平和に関する布告」の発表です。レーニンは、かねてから人々に約束していた戦争を終わらせます。平和に関する布告の中で、無併合(領土を獲らない)・無償金(賠償金を請求しない)・民族自決(他の民族のことに干渉しない)とうたっています。万が一独立したいと言ってきたら、認めてあげる。これを講和条約の前提にすればいいんだ!ということで、レーニンは「平和に関する布告」を全ての交戦国に呼びかけます。このようにして早く平和を実現しよう。講和条約のあり方を提唱したのですね。

 

さらには、「土地に関する布告」も発表し、地主を廃止します。地主を廃止して、土地をいったん国のものとする、そして徐々に人々に分配していこうとするまさに社会主義的な改革を行っていったのでした。このように、ロシア十月革命で権力を握ったレーニンは、講和への持ち込みだけではなく社会主義という改革も着実に行ったのでした。

 

ボリシェヴィキの独裁体制

さぁ、いよいよロシア十月革命で権力を握ったレーニンが独裁政治を実行していきます。その様子をみていきましょう。まず、レーニンなのですが、ボリシェヴィキによる一党支配を行う前に、不思議なことを言い出しました。それは何かというと「新しい憲法を作ろう!憲法を作るために選挙を行います。選挙でえらばれた議員たちで憲法を作っていくよ。」といったのです。そして、このとき男性普通選挙によって、「お金を持っている持っていないに関係なく、男性ならみんな選挙できます。投票方法は至ってかんたんです。自分の支持する政党の名前を書いて投票するだけです。さぁ、みんな投票にいこう!憲法を作ろうよ!」とレーニンは呼びかけました。ところが、開票した結果とんでもないことが起こります。なんと、第一党が社会革命党、第二党がボリシェヴィキ…だったのです。つまり、レーニンボリシェヴィキは負けてしまったんですね。「えー!社会革命党が勝っちゃったの??オレたち勝てなかったのかよ…。」レーニンはショックを受けます。しかし、レーニンはこの選挙結果をうまく利用しました。「じゃあ、開票結果すべて一旦オレに渡して。」といいながら、レーニンは、全ロシアの開票リストをチェックしていったのです。「おっ、この地域は社会革命党の支持者が多いな。ボリシェヴィキボロ負けやん。」わかりますね?選挙結果のデータを使って、ボリシェヴィキが嫌いな奴らをあぶりだして、この地域はボリシェヴィキ嫌いな奴らを多いってことでこいつらを取り締まろうとしたのでした。そこで設置されたのがチェカ(非常委員会)です。革命政権を守るために作られた治安組織で、ロシアの秘密警察的な役割を持ちます。このチェカをつくって、ボリシェヴィキ嫌いな連中が多い地域にスパイ活動をさせたのでした。そして、実際に選挙で選ばれたメンバーが集まります。憲法制定会議の開催です。そしてこの開催にあたって、レーニンはいいました。

レーニン「ねぇ、みんな。俺のい言うこと聞いてくれるかい?」

みんな「いやいやいや、第一党は社会革命党でしょ。おたくは第二党じゃないですか?何いってんですか?聴くわけないでしょ。」

レーニン「・・・なるほど。じゃあ、わかった。」

言うことをきかないとわかったレーニンは、憲法制定会議を武力で解散に追いやります。これで、ボリシェヴィキの一党による支配がこれで完成することになりました。レーニンはさすが上手いですよね。選挙結果をつかって、自分たちの期待する勢力を調査する道具として使ったんですね。

 

そして、ボリシェヴィキ一党支配にもと、ブレスト=リトフスク条約を締結します。ロシアの全権大使はトロツキーです。そして、これで第一次世界大戦からようやく離脱することができたわけです。このようにレーニンはロシアの世界大戦を集結に成功し、さらに赤軍というものを設立します。赤っていうのは社会主義の色です。だから、赤の軍っていうのは社会主義の軍っていうことで、この社会主義政権を守るための軍を設立したのでした。さらに、ボリシェヴィキからロシア共産党に名前を変えて、愛国心の高揚をねらったのでした。ボリシェヴィキって「多数派」という意味があったのですが、それをロシアの国名を入れることによって、ロシアの政権だよ!ってのをアピールしたのでした。さらに、都をモスクワに移す、ヨーロッパとは距離をおくためにできるだけヨーロッパから離れようということで、モスクワに遷都するなど、さまざまな改革を一党支配のもと行っていったのでした。