世界史オンライン講義録

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022 敗戦国ドイツの処分(教科書338ページ)

今回は第1次世界対戦に敗れたドイツの勝負を見ていきましょう。今回のポイントは大きく2点ございます。まずは,第1次世界対戦後の国際秩序を決めよう紛糾する講和会議とその議題に注目してください。そして2点目は,ドイツに徹底した復讐を敗戦国ドイツに行かされた過酷な条件とは一体何だったんでしょうか。今回はこちらの2点に沿って敗戦国ドイツの処分を一緒に勉強してきましょう。

 

第一次世界大戦後の国際秩序

ポイントの一点目です。第1次世界対戦後の世界をどう変えていくのか?まずは勝った国々が集まって会議を開きますが,その会議で一体何が話されていたのか見ていきましょう。

 

さぁ,第1次世界対戦後の新しい国際秩序を決めようということで,あの第1次世界対戦の連合国いわゆる戦勝国が参加します。ここで皆さんに意識をして欲しいのが,まず負けた国は呼ばれません。この時点で嫌な予感がしますね。敗戦国は呼ばれない,戦勝国の思うがままに話されるわけです。そして,ロシア革命によって社会主義国家となったソヴィエト=ロシアも呼ばれません。この段階で,ソビエト=ロシアが周りの国々に警戒されているということがわかりますよね。この連合国が中心となって開いた会議の名前をパリ講和会議と言います。そのため,このパリ講和会議では敗戦国とソビエト=ロシアを除くような形で,戦勝国のやりたい放題な議論がなされたわけです。

 

そしてこの会議を率いた人物が3人がいます。まずは一人目が,アメリカの大統領ですウッドロー=ウィルソン大統領です。ウッドロー=ウィルソン大統領は,十四カ条の平和原則に基づく理想主義的な主張を展開します。「もう一度世界対戦のような戦争が起きてはいけない!戦後を平和にするための国際組織をつくるべきだ!まずはその創設を急ぐべきなんだ!」とウィルソンは平和を作ろう平和にしようということをずっと主張します。ところが,そのウィルソンと意見がぶつかった二人が,イギリスのロイド=ジョージとフランスのクレマンソーです。例えば,イギリスのロイドジョージは,戦前の国際的地位への復帰をめざすのです。つまり,かつての世界ナンバーワンだったイギリスのポジションに戻ろうとします。一方,フランスのクレマンソーは,「我々フランスは第1次世界大戦でドイツに攻められて甚大な被害を受けたのだから,ドイツには厳しい制裁をすべきだ!領土が減る?人口が減る?そんなの知らない!ドイツは徹底して裁くべきだ!そして,徹底的に弱くするべきだ!」と,このようにロイド=ジョージやクレマンソーと言ったイギリス,フランスの首脳は自分たちの主張を展開し,このパリ講和会議では,ウィルソン VS ロイド=ジョージ VS クレマンソーの3人が意見対立を起こし,バチバチ争っていたということです。

 

そして,この会議の中でドイツの処分が決定します。そのドイツの処分いったいどれだけ過酷な内容を課されていたのか見ていきましょう。

 

ドイツに徹底した復讐を!

いよいよ敗戦国ドイツの処分が決定します。そのドイツが重ねた過酷な条件見ていきましょう。

 

第1次世界対戦に敗れたドイツは,パリ講和会議でこういった形で内容がまとまりました。敗戦国ドイツに突きつけられた条約,それが1919年のベルサイユ条約です。このベルサイユ条約では,まずドイツは領土とか軍事に関して過酷な条件を突きつけられました。例えば,割譲地を見てみましょう。海外植民地は,全て喪失します。ドイツが持っていた海外植民地は全てなくなります。それだけではありません!ドイツが持っていたアルザス・ロレーヌをフランスに割譲し,さらにポーランド回廊ポーランドへ割譲といったように,ドイツは領土割譲迫られたというわけです。

 

さらにラインラント地域も非武装化が決定します(ラインラント非武装)。非武装というわけだから,軍隊を入れてはいけないのです。このライン川流域一帯は,当時はドイツ・フランスの国境線でした。このドイツ・フランスの国境線に,ドイツは軍隊を入れてはいけない!ということで,ラインラント地域の非武装が決定します。ここまでだいたいどの辺りの話をしていたのが一旦地図で確認をしましょう。地図をご覧ください。

 

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第1次世界大戦後,ドイツが赤で示したところです。そしてドイツの東側,青で塗り潰したところがポーランド回廊と言われる場所ですね。そして,このドイツの西側の斜線の場所がラインラントと呼ばれる場所です。ドイツ・フランスの国境線ですよね。そして,このラインラントの辺りにあるのが,アルザス=ロレーヌです。ドイツが持っていたアルザス=ロレーヌは,フランス領土になってしまったというわけです。

 

このように領土を奪われるだけではなくて,軍隊を入れてはいけないという地域も決まります。さらにそれだけではなく,国際連盟の管理下に置かれた地域もあります。もともとドイツが持っていたんですけれども,例えば炭田地方のザール地方や自由市のダンツィヒなど,これらの街は国際連盟が管理する街になっていきます。ここまででも,すごい領土の変更がありますよね。しかし,まだまだ課されていきます。特にドイツは,ヨーロッパの中では最も弱い国になっていきます。

 

それがドイツの軍備制限です。なんとドイツは,過酷な軍備制限を課されます。ヨーロッパやアメリカの中では,比較的最も弱い形になるんですね。例えば,潜水艦を持ってはいけないし,空軍を持ってはいけないし,陸軍だってこれ以上の数増やしてはいけないし,徴兵制は禁止であるといったように,ひどいぐらいドイツは,徹底して軍備を制限されてしまったんです。中でもこの後のドイツを散々苦しめることになったのが賠償問題でした。

 

連合国「おい!ドイツ賠償金を払え!

ドイツ「ははっ,わかりました。」

 

その賠償の総額や支払い方法は,ヴェルサイユ条約では未決定のままでした。ところが,その賠償金はのちに1320億金マルク(現在の日本円に換算すると大体200兆円)と決定されたのです。分かりますか?こんなの払えるわけないですよね。第1次世界大戦に敗れたドイツは,いきなり無理難題的な金額の賠償金を突きつけられたわけです。これがこの後のドイツ経済を非常に圧迫していきます。そして,最後二度と世界大戦を引き起こさないように国際連盟の発足もこのベルサイユ条約で取り決められたのです。つまりは,このベルサイユ条約はドイツを徹底していじめるための条約だということを覚えておいてください。