世界史オンライン講義録

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021 内戦と諸外国の干渉(教科書338ページ)

今回は内戦と諸外国の干渉を受けるロシアが,その後どうなっていくのかを見ていくことにします。

 

社会主義政権に反発する内外の勢力

 国内は混乱します。外国も干渉してきます。その時,レーニンはどうしたのか見ていきましょう。一番厄介なのは,レーニンの政党であるボリシェヴィキを嫌がる連中がいたということです。それは国内では反革命軍(白軍)と呼ばれます。社会主義の色が赤なのに対して白ということですね。これはソヴィエト政権に反対する勢力が結成し,レーニンのことをあまるよく思っていない地主・貴族・反ボリシェヴィキなどの人たちが組織して暴れます。ロシアは内戦に突入していくわけです。これに外国がちょっかいを出してきます。これが1918〜22年に起こった対ソ干渉戦争です。この時,ヨーロッパや日本の国々が干渉の口実としたのが「チェコ軍団を助けるぞ!」といったものでした。実は,第一次世界大戦でロシア軍に降伏したチェコの兵隊たちが「オレたちを帰せ!」とロシアで暴動を起こしたのですね。そしたら,ヨーロッパの国々が「わっ,大変だ!チェコ兵たちを助けなくては!!」と無理やり理由を作ってシベリア出兵を行います。チェコ兵が帰ったあとも勝手にシベリアを占領します。驚きですよね,宣戦布告なしに勝手にロシアの領土に入ってくるんですから。

 そして,さらにロシアは隣のポーランドと戦争をします(ポーランド=ソヴィエト戦争)。この結果,ポーランドが勝ち,ソヴィエトが負けます。領土の一部が奪われるなど,まさにロシアは混乱状態に陥ったのでした。レーニンは焦りました。「なんとかこの戦争を勝ち抜かなければならない…。せっかく社会主義国家にしたのに,外国に邪魔されてしまっては意味がない。」

 そこで,レーニンコミンテルンという組織を作ります。このコミンテルンというのはロシア共産党が中心となった組織で,「全世界で革命を起こさせてやろう」「ヨーロッパの国々がオレたちを潰したいっていうのなら,じゃあ革命の仕方を世界中に教えてやろう」といったように,コミンテルンは世界でロシアと同じ革命を起こすための組織です。

 

さらには,戦時共産主義という経済主義をとります。「みんな,申し訳ない!なんとかして干渉戦争に勝たなければならない,外国を追い出さなければならない。だから,君たちが作った作物は申し訳ないが全部政府がもっていくよ。そして,必ず働くんだよ!そして,食料は平等に配給するからねー」といったように,干渉戦争を乗り切るために,かなりキツキツな経済統制をしいたわけです。

 

みなさん想像してみてください。戦時共産主義ってそもそもやる気でますか?作った穀物は政府に持っていかれますし,なんといっても食料は配給です。どうです?極端な話,一日中寝てても,一日中汗水流して働いてても,同じってことですよ。やる気でないですよね?そう,だから戦時共産主義てロシアの生産力は一気に低下し,人々のモチベーションがガクンと落ち込んだのです。それをみたレーニンは「やばい…。ちょっとやりすぎたかな」と反省をします。ちょうど対ソ干渉戦争を乗り切れそうになるタイミングで,新しい経済システムを導入してきます。それが新経済政策(ネップ)です。この導入によって人々のやる気を出させようとしたのです。穀物徴発制を廃止し,小規模の私企業や小農の経営を認めるなど,努力した分だけ評価されるシステムに変えたのです。これでようやくロシアの国民がやる気を取り戻し,1927年の時点では,第一次世界大戦前までの水準に回復したといわれています。

 

それにしても大変でしたね,レーニン。内戦そして対ソ干渉戦争を退けて勝利をしました。そして,このあとロシアが中心となって大きな社会主義国家ができていく様子をみていくことにしましょう。

 

新体制へと移行していくロシア

 1922年,4つの共和国でソビエト社会主義共和国連邦というのが発足します。これは,教科書によってはソ連とかソ連邦といった表記をされる場合があります。そして,このソ連を構成した4つの共和国が,ロシア・ウクライナベラルーシ・ザカフカースです。この4つがソ連というのを結成します。地図で確認をしておきましょう。ユーラシア大陸の半分を支配しているといっても過言ではないのがソ連です。そして,4つの共和国が合体する形でできたのがソ連で,このソ連を束ねるためにソヴィエト社会主義共和国連邦憲法が制定されて,4つの共和国を束ねたということになります。ちなみに最終的には合計15の共和国で構成されるようになっていきます。

 そして,このソ連ですが,社会主義国家であったのでヨーロッパの国々はこのソ連を認めたくなかったのです。しかし,ついに各国がソ連を承認していくようになります。ヨーロッパの中でも,最初にソ連を認めたのがドイツでして,1922年にラパロ条約を締結することによってソ連を認め,その他の国々も続き,最終的にアメリカ合衆国がようやくソ連を認める形になります。最初,アメリカ・ヨーロッパの国々はソ連のことをあまりスキじゃなかったけど,徐々にソ連の存在を認めていったということをおさえておきましょう。