世界史オンライン講義録

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029 イタリアのファシズム(教科書343ページ)

今回はファシズムの台頭見ていきましょう。今回のポイント一点目,戦勝国なのに混乱するイタリア。 主義の矛盾をついた新しい政治思想というのが生まれます。当時のイタリアに一体何があったのか注目していきましょう。そして2点目,ムッソリーニ一党独裁体制の確率民衆から支持を集めて独裁政治を行う当時の人々はこの独裁を支持したんです。今回はこのポイントを二つに沿ってファシズムの台頭一緒に勉強していきましょう。

 

戦勝国なのに混乱するイタリア

第1次世界大戦に参戦するにあたってイタリアは約束されていました。イギリス・フランスから「世界大戦に参加してくれたら戦後未回収のイタリア(イタリア人が多く住む地域)をプレゼントするよ!」ということで,イタリアは世界大戦に参加しましたね。ところが, 第1次世界大戦後,イタリアは全ての領土を獲得できたわけではなかったんです。なんとイタリアは,フューメを残す状態になってしまいました。そして,このフューメというのは,イタリア人が多く住む地域で第1次世界大戦後に,イタリア領ではなくユーゴスラビアになってしまったのです。当時は,セルブ・クロアート・スロヴェーン王国と呼ばれていたんですが,後にユーゴスラビアになります。イタリアは獲得できなかったんです。「なんでイタリア人がが多く住むのにイタリアが獲得できないんだよ!」ということで,早速イタリアはこの戦後の体制に不満を持つことになりました。ではフューメがどの位置にあるのか地図を確認したいと思います。

 

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イタリアが斜線の入っているところです。第1次世界大戦後に,南チロルとかトリエステという未回収のイタリアは獲得できたんですが,まだ残ってます。このフィウメです。このフィウメだけはイタリア人が多く住むのに第一次世界大戦後イタリアが獲得できなかった町なんです。そのため,イタリアはこのフィウメを獲得しようとユーゴスラビアとの関係を悪化させます。そのため最終的にこのフィウメはどうなるかというと「 もう仕方ない!フィウメは,もうどこの国の領土でもない!」最終的にフィウメは国際連盟管理下に置かれることになったのです。その結果,第1次世界大戦後「領土問題」がそのまま残ってしまったということを覚えておきましょう。

 

そして,まだまだ続きます。戦勝国であるはずのイタリア,第1次世界大戦が終わると迎えたのは経済混乱です。戦後不況の問題です。第1次世界大戦後,イタリアは戦後不況に見舞われます。世界大戦に参加するにあたっていろんな物資を送ったため,イタリアには今ものがない。ものがないし,しかも労働者・失業者が増えてしまいます。とにかく待遇が悪い。そこで,北イタリアのストライキいうのが発生します。北イタリアのストライキが発生すると労働者たちが「俺たちの生活を改善しろ!」という形で訴えたわけです。ところが,この北イタリアのストライキがとんでもない結果になります。なんと当時のイタリアの政府が,これを鎮圧に入ったんですね。「お前ら!何をやっているんだ!暴れるんじゃない!落ち着きなさい!」という形で政府が鎮圧に入ったんですね。そして,すごく大きな問題を抱えていたのです。なぜかというと,この政府は当時イタリア社会党といいます。本来,社会主義政党は労働者失業者の味方なんです。にもかかわらず,当時のイタリア社会党政府は「いいから労働者はだまりなさい!」と彼らを押しつぶしてしまったのです。さあ大変なことになりました。労働者たちは「一体俺たちの生活を誰が守ってくれるんだ。誰か仕事をくれるんだ!」と,イタリア社会党なんかもう誰も期待しませんよね。この情勢の中,社会党に代わる新たな失業者を救済するための政党が生まれていきます。その政党とは一体どういう政党なのでしょうか。次のポイントで見ていきましょう。

 

ファシズムの台頭

ポイントの2点目は,ムッソリーニ一党独裁体制の成立どのようにして生まれていくのか見ていきたいと思います。 第1次世界大戦が終わりました。しかし,イタリアは戦後の国際体制に不満たらたらです。それもそのはずフューメが領土になっていないし,さらに国内では労働者・失業者といった人たちがイタリア社会党に対して嫌悪感を示しています。「俺たちの生活を通してくれるんだ!」第1次世界大戦後のイタリアはそのような問題を抱えていました。そんな中,登場したのがムッソリーニという人物です。このムッソリーニは,新しい政党でファシスト党という政党を結成しました。このファシスト党というのは,まず重要な要素として資本家・地主・軍部などで支持を拡大していきます。実はムッソリーニの政党って,資本家や地主といった金持ち連中に非常に好かれる政党だったんです。なぜかと言うと,ムッソリーニが掲げたファシスト党のスローガン「社会主義」です。実は,資本家・地主といった金持ち連中はこの社会主義革命が怖くて怖くてしょうがないんです。 たとえばロシア革命で勉強した内容を思い出してみてください。万が一社会主義革命が成功したら,土地は一旦国のものになってしまいます。 「おい!地主!お前はいらない!」と言って地主から土地を取り上げる,資本家から企業取り上げる,そして農民や労働者に分配されてしまうんです。だから資本家や地主は社会主義が非常に怖くて怖くて仕方ないんですね。このムッソリーニが,「俺は社会主義を潰す」と言ったことで,資本家や地主は大喜びしたというわけなんです。

 

しかし,ムッソリーニの巧妙なところはさらにこの後なんです。「いいか!よく聞け!俺は社会主義なんて絶対に目指さないし,むしろ社会主義なんて潰してやる!だけどだ! 国家が責任をもって国家による経済統制,経済状況を立て直してやる。仕事がないやつには仕事をやる。物が高くて買えなければ物の値段を下げてやる。国家による経済統制を約束する」こうすることによって,社会主義政党に失望していた下層階級から支持を集めることに成功します。「あ,やっぱりムッソリーニっていい人かもしれない!あの人ちょっと怖いけれど,僕らの生活を守ってくれる!って宣言したもん」。はい,これがムッソリーニのやり方なんです。国家による経済統制によって貧しい人達に食を与えてあげよう,ただし絶対に社会主義はしないぞ!このようなやり方です。そして,ムッソリーニは最後にいました。

「いいか?お前らが選挙に行って自分の入れたい政党に票入れて,みんなで代表を選んだりするからイタリアはまとまらないんだ。実際にまとまらなかっただろ?だから俺が全部イタリアをまとめる!俺が戦後のイタリアの混乱を全部沈める。だからお前らは何一つ発言をするな。」

こんなやり方なんです。社会主義にはしない,でも弱い人は助けてあげる,その代わり絶対に言論の自由は許さない,俺の言うこと全てきけ,ファシスト党の言うこと全て聞け,ということで言論の自由は全くないんですね。このようにムッソリーニが始めたやり方を政党の名前からファシズムっていうんです。日本語では全体主義といます。このファシズムの考え方はこの後,隣のドイツ・ヒトラーにも影響を与えることになります。 第1次世界大戦後新しい政治思想というのが登場したということしっかりと覚えておきましょう。

 

ローマ進軍

そして,このムッソリーニがついに行動を起こします。それがローマ進軍です。このローマ進軍というのは一体何かと言う, 弱腰な政府に対してムッソリーニがクーデターを起こしたんです。俺らが政権を取るぞ!とローマに向かって進んでいく。そして,政府はこれを鎮圧しようとしたんですが,なんと国王が「ムッソリーニ!意外といいじゃん!あいつだったら混乱沈めてくれそうだ!」ということでムッソリーニの内閣を承認したんです。そのため国王はムッソリーニ側についたんです。そしてムッソリーニはついに政権を獲得!ここから国民をまとめるために ムッソリーニは巧みな外交を使ってきます。例えば,フィウメを併合します。フィウメを併合して「イタリア人が多く住む地域を獲得したぞ!」といってムッソリーニは国民からの支持を獲得します。そして,ついにファシスト党による一党独裁制というのを作り上げていきます。ファシズム大評議会というファシスト党の会議が,国家最高の議決機関になる。これでファシスト党以外の政党は,力のない飾りだけの政党になるということなんです。

 

さて,このようにムッソリーニ一党独裁に向けて動いていくんですが,忘れてはいけません。その背後には国民からの支持があったということなんですね。ムッソリーニはどのようにして国民の心をつかんだのでしょう。フィウメ併合だけではありません。

 

アルバニア保護国

アルバニアというのはバルカン半島に位置する国で,このアルバニア保護国化することによってイタリアは植民地を拡大していきます。これまでの弱腰なイタリアではなくて, 強いイタリアであることをアピールします。

 

さらに国民を喜ばせたのがラテラン条約です。実は当時イタリア政府と教皇は喧嘩してたんです。イタリアはローマ教皇の土地を勝手に占領しました。それ以来,ローマ教皇は「ぼくの土地が獲られた!!!」ということでずっと文句を言っていたのです。そのローマ教皇ムッソリーニと和解します。つまり,ローマ教皇ムッソリーニを認めたことになります。そしてイタリア国民はカトリックですから, カトリックのリーダー・ローマ教皇ムッソリーニと仲直りするってことは,ムッソリーニの人気は自然と上がります。ちなみにこの時,ラテラン条約に「 ローマ教皇ごめんなさい」という形でバチカン市国の成立を認めたことになります。現在まで続くバチカン市国というのはちょうどここで出来上がったのですね。

 

このように政策だけではなく,外交もを使って同じ国民なんだという仲間意識をうまく使っていったのが,ムッソリーニ外交政策です。しっかりと保護国化された地域や結んだ条約など覚えていきましょう。