世界史オンライン講義録

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030 東欧諸国の動向(教科書344ページ)

今回は東ヨーロッパ諸国の動向について見ていきたいと思います。

 

独裁政治の方が都合がいい!?

ポイントの1点目ですが,第1次世界大戦後に新しく独立した東ヨーロッパの国々。一体どんな政治体制だったんでしょうか?まずは確認です。第1次世界大戦が終わりましたね。するとアメリカの大統領ウィルソンが提唱した民族自決の原則は,東ヨーロッパの国々に適用されるようになります。これはアメリカ合衆国大統領ウィルソンが十四か条の中で提示した民族自決。「独立したいと言うのであれば認めてあげるべきだ!」との民族自決の考え方が適用されて東ヨーロッパの国々が独立していくことになります。

 

そして,今回はポーランドハンガリーという二つの地域を紹介していきたいと思います。まずポーランドなんですが,独立後ソビエトポーランド戦争といって,お隣のソビエト=ロシアと戦争を行います。これによってソビエトを破り,ポーランドが勝つと,領土を一部獲得します。そして,この戦後のポーランドまとめる形に出たのがピウツスキという独裁者です。独裁体制を築くんです。このピウスツキが議会を軽視した完全な独裁政治へと移行したということです。これがポーランドの歩み。

 

続いてはの舞台はハンガリーです。 このハンガリーなんですけどもハンガリー革命というのが実は1918年から19年にかけて発生しました。ハンガリー革命というのは社会党共産党が中心となって,なんとハンガリーソビエト政権を樹立してハンガリー共和国の独立をうたった形になります。このままではハンガリーソ連と同じような社会主義国家になってしまいますよね。そこで,このハンガリー革命を潰して,登場したのがホルティです。このホルティという人物は先ほどのハンガリー革命をつぶし,まさに社会 主義を阻止した男なんです。ロシアのような革命を起こさせない,社会主義を見事に阻止した人物なんです。さて,そろそろ気付きませんか?第1次世界大戦が終わり,民族自決の原則が適用されて東ヨーロッパの国々が独立をしました。すると西ヨーロッパの国々があって,お隣にソ連がある東ヨーロッパはこの間に位置する。つまり,この地域というのはソ連との壁なんですね。この地域は何があっても社会主義になっては欲しくない。そして,できることならこの社会主義ソ連をどんどんおいやってほしい。そのためには強力な独裁政治でもオッケーなんです。社会主義さえ阻止してくれればなんだっていいんです。このように第一次世界大戦後の東ヨーロッパの国々というのは,まさにイギリスやフランスといった西ヨーロッパ諸国の思惑のまま操られる形になります。そのため,独裁政治の方が都合が良いんだということをしっかりと覚えておきましょう。

 

世界が注目したソ連経済の成長

ポイントの2点目です。今度はソ連に注目します。世界が注目したソ連の経済政策,一体どういう経済をしいていくのか見ていきましょう。その前に1924年ロシア革命の指導者でありソ連の成立を実現したリーダー・レーニンが死にます。このレーニンの死後,後継者を巡って二人の男が争います。まず,レーニンの後継者を巡って登場したのが,トロツキーという人です。このトロツキー世界革命論というのを提唱し,「西ヨーロッパや世界全体に革命を広げるべきなんだ!革命を広げて,仲間にしていくことで初めてソ連は存続できるんだ!だからもっと仲間を増やせ!もっと社会主義国を増やせ!」っていうのがトロツキーの考え方です。ところがこのトロツキーの考え方とぶつかったのがスターリンです。彼は一国社会主義というのを提唱し,「社会主義建設は後進国であるソビエトソ連一つでも十分可能なんだ!トロツキーのように仲間を増やし続ける必要はないんだ!俺らだけで十分だ!」という考え方を持っていたのです。

 

この結果,トロツキースターリンの意見がぶつかり,最終的に勝ったのはスターリンの考え方です。トロツキーは追い出され,やがてメキシコで暗殺されます。そして,このスターリンが次の指導者となって一体どういう政治体制を敷いたのかというと,まずは粛清を行います。この粛清というのが,スターリンの反対派とされた人々彼らを大量に処刑すること,これを粛清といます。スターリン以外の連中を徹底して処罰する。 スターリンに賛同しないと消されるということなんです。このようにスターリンはややヒステリックなまでに自分の反対派を徹底して処分したんです。そして,彼の名前を取ってスターリン憲法というのが制定されます。ちなみに中身は驚くぐらい民主主義の内容を含んでます。たとえば,男女の平等。たとえば,民族間の平等。驚きですよね。実はこのスターリン憲法って中身は非常に民主的なんですが,ただ書いただけで実際にはやりません。形式的,全てはスターリンの思うがままにソ連は動かされていく形になります。

 

このようにやや怖い印象の強いスターリンなんですが,彼がここまで強力な独裁権力を振るったのにはある秘密があります。 スターリンはある経済政策を完成させようとしてました。その経済政策というのが第1次五カ年計画といいます。この五カ年計画というのは5年間,ある特定の分野に特化して経済成長を行うというやり方。こういう経済のことを計画経済っていいます。まず第1次五カ年計画では,いきなり重工業重視した政策に変えます。石炭業・石油業といった重工業重視する一方,農業生産効率良くするために農業の機械化および集団化を行います。農業に関しては,コルホーズ(集団農場)といいます。これは「生産手段である鍬だったり機械だったり牛や馬などの生産手段と土地は共同利用しよう!そこで採れたものはみんなで共同に分配しよう!」というやり方です。一方でソフホーズ(国営農場)は,この畑で採れたものは全部国のものです全部国のもの。 そんなことやったら働く気なくすじゃないですか?と思いますよね。大丈夫なんです。ここで採れた作物は全部,国が預かります。働いてくれた農民には。賃金を支払う,つまり農業アルバイトなんですね。このようにしてコルホーズソフホーズといった形で効率よく農作物を生産する方法をスターリンは導入したんです。そしてこの第1次五カ年計画で一気に工業国へと急成長します。

 

さらにこの次に第2次五カ年計画といって,今度は人々の生活に必要な軽工業重視のスタイルに変えたのです。これは欧米には見られない経済システムです。自分たちの計画に従って効率よく進める,これで一躍ヨーロッパアメリカに並ぶ経済大国に成長したのでした。