世界史オンライン講義録

明 日 へ つ な が る 学 び の 場

037 世界恐慌の到来

さあ,これから世界恐慌ファシズム諸国の侵略を勉強していくことになります。皆さん思い出してみてください!第一次世界大戦が終わりました。するとアメリカやヨーロッパの国々は,二度と世界大戦を起こさせないぞという形でヴェルサイユ体制ワシントン体制という大戦後の新しい国際ルール秩序作りに貢献してきましたね。そして,ヨーロッパを中心に国際協調主義と言って,みんなで仲良く!みんなで仲良く!という雰囲気が広まっていったんです。ところが,今回世界恐慌というのが発生します。この世界恐慌が発生し,今まで作ったルールそして国際協調の精神が一気に全部崩れます。いったい世界恐慌の後,ヨーロッパの国々に何があったのか,今回の授業では世界恐慌の発生とその後の欧米諸国の動きといった大きなお話をしていきたいと思います。

 

まず世界恐慌というのは,実はアメリから始まってヨーロッパ全体に拡大したまさに世界的に不況の時代です。その世界恐慌の対応にあたっては,植民地を持っている国と持っていない国で対応の違いというのが生まれます。そのため今回は植民地を持っている国,植民地を持っていない国に分けて,世界恐慌の対応がどう違ってくるのかのお話をしていきたいと思います。

 

まずは植民地を持っている国々は世界恐慌をどう乗り切ったのでしょうか。まず今回は,世界恐慌の発生というのを見ていきます。1929年アメリカで始まった金融恐慌がヨーロッパに拡大します。世界恐慌の始まりは1929年のラインです。ここから世界恐慌が始まって各国の工業生産,つまりその国でどれぐらいのものが作られていたのかのグラフを表しているものです。そして,この世界恐慌が発生しまして,まずは発生元のアメリカはこの強行にどう対応したのかを見ていきます。積極的に世界恐慌を乗り切るための改革というのがアメリカでは行われたんです。そのため,たくさんの政策・法律というのを覚えてもらいます。

 

世界恐慌ファシズム諸国の侵略

1920年代のアメリカは,世界ナンバーワンの経済力を誇っていましたね。世界大戦後のアメリカは,空前絶後の繁栄を遂げていたんです。そして,当時のアメリカは株式ブームが発生してました。株式ブームとは何なのでしょうか?そもそも皆さんは株というのをご存知でしょうか?例えば,1株が1万円の時に株を購入します。すると,この株の人気が徐々に徐々に上がってって極端な話1株100万円になったとしましょう。この時に持っていた株を手放せば99万円得することになります。このように株というのはできるだけ安いうちに買っておいて値段が上がったらそれを売って儲ける,これが株取引なのです。1920年代のアメリカはなぜか分からないぐらい株価が徐々に上がっていくんです。サラリーマンだけではなく,奥様方やさらには子供まで株の話をしていたと言われます。ニューヨークの靴磨きの少年が「おっちゃん!フォード車の株って今いいんだってね!」そういう会話が行われる当時のアメリカでした。株を買えば誰でも儲かるそういう甘い考え方が浸透していた1920年代の後半でした。

 

1929年10月24日木曜日が悲劇の始まりです。なんとニューヨーク株式市場ウォール街で株価の一斉暴落が始まります。この1929年10月24日木曜日のことを暗黒の木曜日といった言い方をします。これによってアメリカでは大規模な金融恐慌が発生,わずか1日にして借金を何十億とかかかえる人もいたんです。それこそショックを受けて命を自ら断ってしまう人も続出したぐらいで,このようなアメリカで発生した恐慌が全世界に波及,そして世界恐慌を引き起こすことになったんです。そしてアメリカでは,この恐慌に対して一体どういう対策がなされたのでしょうか。ここで,当時の大統領に注目してきましょう。

 

フーバー大統領

まず当時の大統領であったフーバーは,なんと資本主義経済の自然回復力を信じて対策をしませんでした。無能な大統領です。当時の資本主義経済は,イギリスの経済学者アダム=スミスという人がいました。「古典派経済学の経済は,神の見えざる手によって動かされているわけだから,いい時もあれば悪い時もある。人間がちょっかいを出してはいけないんだ!」そういう考え方が浸透していたので,フーバー大統領は特に何もしなかったんです。「大丈夫,いつか回復するさ!」といった楽観的な考え方を持ってたんです。

そして,彼が何かやったと思えばフーヴァーモラトリアムを実施しました。これは,ドイツの賠償金支払いやイギリス・フランスの戦争の借金返済の支払いを一か年止めるよ!だからアメリカはドイツに何も支援しないよ!1年間止めるけど大丈夫だよね?」そういう内容です。ヨーロッパ各国に対してアメリカが支援を止めてしまいます。この結果,ヨーロッパはどんどん経済状況が悪化していきます。まさにフーヴァーは世界恐慌を悪化させただけの大統領だったのです。このように世界恐慌で経済危機に陥ったアメリカ当時の大統領は何もせず結局フーバー大統領の人気は徐々に下がり,彼は2期目の当選を果たすことはできませんでした。

 

ローズヴェルト大統領

世界恐慌に対して何も対策を出ない無能なフーバー大統領に代わって,フランクリン=ローズヴェルトが大統領に就任します。彼がアメリカ経済を立て直すために取った政策とは一体何なのか見ていきましょう。

ニューディール政策

まず,彼は就任してからはニューディール政策というのうちだします。ちなみにこのニューディール政策というのは,そのまま意味を当てはめると「新規まき直し」といいます。つまり「今までの経済状況をもう一度変えていこう!新しく作り直していこう!回復させていこう!」といった政策です。つまり「経済をほったらかしにするんじゃない!国家が積極的に経済に介入していくんだ!生産活動やそこで働く人たちを助けていくんだ!」とするのが,ニューディール政策なんです。そのためニューディール政策はお金を持っている人ではなく世界恐慌の煽りを受けて苦しい生活をしている人達を助けようといったところに特化します。

そのためにフランクリン=ローズヴェルト大統領が真っ先に行った改革としてまず農業調整法(AAA)があげられます。

農業調整法(AAA)

・制限過剰生産物の政府買い上げ

・農作物の価格安定化を目指していく

 農民たちの余った作物を買い上げて農民にお金を渡すなど,農民を助けるための政策であるということを覚えときましょう。

 

さらに,全国産業復興法(MIRA)といって,企業の救済及び労働者の団結団体交渉権を承認するなど,企業そしてその企業で働く人達を助けるための法律を制定しました。さらに,ローズヴェルト大統領はこう考えました。「人々が仕事を失っている状態だったら,収入がないわけだから,物を買わなくなってしまう…。彼らに仕事を与えなければならない!」と。

 

そこで彼が行ったのがテネシー川流域開発公社(TVA)といいます。政府が総合開発に着手します。具体的に言うと,ダムを建設したりしたんです。いわゆる公共事業ってやつですね。この公共事業によって多くの失業者を吸収することに成功します。仕事を失った人達に安定して仕事を渡していきました。さらに給料払ってあげました。そうすることによって失業者はお金を手に入れて,ものを買えるようになるわけです。

 

しかし,すべてがうまくいったわけではありませんでした。実はこの頃アメリカの連邦最高裁判所からある意見が出たんです。

「大統領閣下よろしいでしょうか?」

「どうした?最高裁判所長官。」

「はい!閣下が制定した全国産業復興法ですが,あれ憲法違反です」

「えっ?」

憲法違反です」

どういうことかというと,企業に対して国家がが経済に介入してくのは認められてません。なんとローズヴェルトの全国産業復興法が憲法違反だと言われてしまいました。労働者を助けるぶんにはいいのですが,企業に介入したらダメなのです。そこで,ローズヴェルトは「じゃあ,わかった!労働者を助けようではないか!」といって,別個にワグナー法というのを制定します。ワグナー方とは,労働者の団結権・団体交渉権を改めて承認します。あの全国産業復興法に対して,違憲判決が出てしまったからこのような法律を別個制定したんですね。いずれにせよ今までのフーバー大統領とは違って,国家が積極的に経済に介入し,何とかして立て直そうと改革を行ったわけです。

 

そして,このローズヴェルトは,世界恐慌に対処するため外交自体も変えていくんです。彼の外交が善隣外交です。これは,経済的・政治的な南北アメリカの一体化を目指す外交方針のことを指します。今まで「ラテンアメリカの国ども,言うこと聞きやがれ」という強いやり方を辞めて,「アメリカ合衆国と友好的な関係を築いていこう」とするのが善隣外交の目指すところです。実際にキューバの独立を認めたのもローズヴェルトの時でしたり,喧嘩していたソ連のことをようやく認めたのもローズヴェルトのときでした。「あわよくばソ連にも物を輸出できるんじゃないか?」といったように,輸出が増えればアメリカ経済は景気回復しますので,それを狙ってソ連を承認したとも言われます。

 

このようにローズヴェルト大統領は,積極的に経済に介入していく,今まで見られなかった手法によってアメリカ経済の再建に着手したということです。