世界史オンライン講義録

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023 ドイツ以外の敗戦国の処分(教科書339ページ)

ヴェルサイユ体制とワシントン体制の第2回目です。今回はドイツ以外の敗戦国の処理を見ていきましょう。

 

戦勝国の思惑が反映された講和条約

ここでは,ドイツ以外の敗戦国がどう処理されていくのかをていくことにしましょう。まず,敗戦国の整理です。ドイツは前回の授業でやりました。ドイツ以外の国としてはオーストリアがいます。そして,ブルガリアハンガリートルコです。ちょっと気をつけて欲しいのですが, オーストリアハンガリーは実はもともとは1セットでした。 このオーストリアハンガリーは,元々はオーストリア=ハンガリー帝国と呼んでいたんです。 第1次世界大戦の時にはハンガリーはこのオーストリアに組み込まれていた状態でした。けれども,第1次世界大戦が終わると,オーストリアハンガリーが切り離されて2つとも敗戦国という扱いを受けたのです。だから,ハンガリーも敗戦国ですね。そして,トルコいわゆるオスマン帝国のことですね。このように オーストリアブルガリアハンガリーオスマン帝国これらの国々がこういった以下のような講和条約を締結していくことになります。

いずれにせよ,縮小されたり一部の試験が制限されたり敗戦国にとっては非常にきつい内容でした。そして,このとき東ヨーロッパを中心に多くの独立国家が登場していきます。それが東ヨーロッパ諸国の独立です。その東ヨーロッパ諸国の独立を見て行く時に是非皆さんに知っておいてほしいことがあります。それは,あのウィルソンが14か条の中で唱えた民族自決の考え方です。

「自分たち民族のことは自分たちで決めればいいし,もし独立したいと言うのであれば独立を認めるべきなんだ。」 

ウィルソン大統領が唱えた民族自決の考え方が,東ヨーロッパに適用されることになります。これはアジア・アフリカには適用されません。ヨーロッパに限定的に適用されたものです。その結果,エストニアラトビアリトアニアポーランドフィンランドさらに,ハンガリーチェコスロバキア,そしてセルブ=クロアート=スロヴェーン王国。セルブ=クロアート=スロヴェーンってすごい名前ですね。 むしろひどい名前ですよ。だって,ただ民族くっつけただけの名前ですから。セルビア人とクロアチア人とスロベニア人の国だねっていう。なので後ほどユーゴスラビアと名前を変えます。

そして,皆さんに意識をしていただきたいのはなぜ東ヨーロッパにこれが適用されたかです。なぜアジアには適用しない,アフリカもダメ!ただヨーロッパだけはオッケーだよ。って一体これ何でだかわかります?これは,地図でみれば当時のアメリカやヨーロッパの思惑が分かります。皆さん地図をご覧ください。

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 この斜線をひいた地域が,ハンガリーチェコスロバキアなど第1次世界対戦後に新しく登場した独立国です。そして,この東ヨーロッパの東側には何がいるかもう気づきますでしょうか?そう,ここにいるのはソ連ですね。ソ連の成立自体は,ヴェルサイユ条約とかよりももうちょっと後になるんですが,ここにすぐ社会主義国ソ連がいます。ここにヨーロッパの国々がいます。そう,これ新しく登場した独立国がブロックしている状態なんですね,つまり,第一次世界大戦後に東ヨーロッパの国々が独立できた理由は,なんと「ソ連との壁」として独立させられたってことなのです。別に彼らの独立をヨーロッパは歓迎したわけじゃないんですね。ただソ連との壁として利用できるからっていうイメージを持っておいてください。

 

このような理由からヨーロッパにだけ民族自決が適用されたのですね。戦勝国の思惑が反映された形となります。

 

第一次世界大戦後の西アジア

さて,今回のポイント2つめは第1次世界対戦後の西アジアはどうなっていくのかということです。現在まで続く中東問題の火種はここで生まれます。では見て行きましょう。

 

まず,第一世界大戦後の西アジアなんですが,忘れてはいけません。 第二次世界大戦後の西アジアは,あのオスマン帝国です。第1次世界対戦後のオスマン帝国領がどのように処理されていくのかを見て行きます。そして,まず第1次世界大戦後のオスマン帝国西アジアで注目すべきはアラビアの独立です。 アラビア半島と呼ばれる地域に独立した国家が登場します。その国家なのですが,まずはヒジャーズ王国というのができます。このヒジャーズ王国は,メッカの首長・フセインさんが建国した国なんです。 あれ?どこかで聞いたことありませんか?このフセイン,実は彼はイギリスと秘密条約を結んだフセイン=マクマホン協定フセインさんです。フセイン=マクマホン協定というのは「イギリスに協力してくれたらアラブ人の独立国家を作らせてあげるよ!」という内容でしたね。そのフセイン=マクマホン協定の内容を信じてフセインさんはヒジャーズ王国という国を作ったんです。ところが,第1次世界大戦が終わった後イギリスはこの約束を守る気はなかったんですね。イギリスからすると,フセインが邪魔で邪魔で仕方がない,そこでなんとイギリスはフセインのすぐ近くにいたイヴン=サウードという人を利用します。イヴン=サウードというのはバックにイギリスがついてますので, 仲良しこよしイヴン=サウードを使ってこのフセインを攻撃したわけです。イギリスも姑息で汚い手段を使ってきますよね。さあこの動きを地図で確認していきましょう。

 

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さあこれがアラビア半島の地図です。今アラビア半島の西側にヒジャーズ王国というのがフセインによって作られましたね。イギリスはこれが邪魔で邪魔で仕方がない,するとヒジャーズ王国のお隣にいた大富豪イヴン=サウードを使ってイギリスはヒジャーズ王国を征服させる形となります。これによってイヴン=サウードがヒジャーズ王国を征服したということになります。そこでイヴン=サウードは,「アラビア半島は我らサウド家のものになったぞ」ということで,サウード家のアラビア⇒サウードdeアラビア⇒サウーディラビア⇒サウージアラビア,いまのサウジアラビア王国へと続くのです。

 

なので,かわいそうな結果になってしまいましたフセインは,結局国を作ることができずにイギリスの支援を受けたイヴン=サウードがアラビア半島を統一したというわけです。そして,さらに問題となっていたのは,オスマン帝国アラビア半島の北側の領土で,現在の西アジア地域はこのように戦後処理がなされました。これを委任統治と言います。この委任統治というのは,国際連盟が預かるという形をとります。オスマン帝国領土を国際連盟が預かるという形をとります。でも実際に国際連盟自体は,実質統治はできないので,国際連盟に変わってイギリスやフランスが代わりに統治をするということになります。イラクパレスチナ・トランスヨルダンはイギリスの管理に,シリア・レバノンはフランスの管理下に置かれることになります。

 

そしてこのように,イラクパレスチナ・ヨルダン・シリア・レバノンを,イギリスやフランスが自分の都合のいいように国境線を張ってしまったんです。ではさきほど地図をご覧ください。右からイラク,トランスヨルダン,パレスチナの場所を確認しましょう。いいですか?イラク,ヨルダン,パレスチナ,これはイギリスの管理下に置かれてしまいます。そして,北側のシリア,塗りつぶされているところがレバノンですが,これらはフランスの管理下に置かれるんです。さて,何が問題なのでしょうか?国境線見てください。これ,イギリス・フランスが自分達の都合に合わせて勝手にひいた国境線なのです。そのため民族・宗派の違いなどを全部無視してしまったから現在でもこの地域というのは紛争が絶えないことになっているんです。

 

現在につづく中東問題の火種は,このイギリス・フランスが行った委任統治にあったということ,イギリスの管理した国フランスの管理下にあったということをしっかりと名前と地図もセットで覚えておきましょう。

 

【発展編】シリア内戦について

シリアってのはトルコの下,イラクの右に位置する国です。最近アメリカがミサイルを発射したことでニュースにもなっていますね。でも,ニュースだけでは断片的でイマイチよくわからないって人も少なくないんじゃないかな?ってことで,ここでは最後にちょっと複雑なシリアについてみてみましょう。

 

今からさかのぼること1922年,当時オスマン帝国が中東を支配していましたが,それが第一次世界大戦で敗北を喫してしまいます。この後,戦争に勝利をしたイギリスやフランスが中東を身勝手な線引きで領土を分割していったんです。こんなように民族や宗教を無視して分割しちゃうと「オレたち◯◯民族の国を作れー!」といったように,中東の国内では対立が起きてしまいますよね。シリアもその例外ではなく,シリア内にはイスラムシーア派スンニ派クルド人など,バックグラウンドの違う人たちが住んでいるんです。シーア派スンニ派っていわれてもちょっとピンと来ないですよね?実は,イスラム教では,ムハンマドの後継者(カリフ)でリーダー的なポジションにつく人を選ぶ際に,派閥があったんです。

 

スンニ派:カリフは誰がやってもいいんじゃない?

シーア派:カリフはムハンマドのいとこであるアリ―の血を引く者が務めるべき

 

って考え方なのです。そんなシリアでは,少数派であるシーア派のアサドが政権を握るようになりました。しかし,2011年「アラブの春」といって周辺の独裁国家が次から次へと民主化していったことによって,シリア国民も「オレたちも独裁政権を倒せるんじゃね??」ということで民主化運動が起こり,内戦にまで発展したんだよ。

 

しかし,これで終わりではないのです。冒頭でもアメリカがシリア政府の施設にミサイルを打ったことが話題なったと言いましたが,実はアメリカがシリアに軍事攻撃をするには結構前からあったのですが,なんでこれが大ニュースになったのでしょう?まぁ,そりゃミサイル攻撃をしたひにゃニュースになるのは当然なのですが,このシリア内戦にはアメリカとロシアの対立が背景にあるのです。(ってか,アメリカとロシアって常に登場してくるよね…。)

 

シリアには政府軍VS反政府軍の対立構造だけではなく,クルド人問題やISISの介入などで混乱状態が続いています。細かい内容は今回は別に覚える必要はありません。とにかくシリアって国はこれだけの状態であるにも関わらず,アサド政権が崩壊しないのにはちゃんとタネがあります。そのタネというのが,バックでアサド政権を支援しているロシアなんですね。なんでそこでロシアが登場するのか?それは,ロシアはシリアに海軍基地を保有していて,この地域での影響力を失いたくないって思惑があります。だから,アサド政権を攻撃するアメリカってのは,ロシアからすれば敵以外の何物でもないんですよね。そりゃ,ロシアとアメリカの緊張状態も高まるってこと。

 

実は,アメリカがシリアにミサイルを打ち込んだ理由は,政治的な理由もあります。それはたとえば,

北朝鮮やロシアに対して「お前ら,調子乗ってると攻撃するぞ!」っていう牽制の効果

②「私たちは反ロシアです!」ってアピールしておくことで,アメリカ国民からの指示を得ようする目的

など。先の選挙でトランプさんとロシアとの関与が強く非難されていることもあって余計にそうせざるを得なかったってことだね。

 

ということで,まとめます。帝国主義によってシリアを含む中東は民族を無視した分割をやってしまったために,内戦の多い地域となってしまいましたし,それが現代ではアメリカとロシアの対立に利用されているという感じですね。大国は自分たちの国のことばかり考えず,中東で暮らす全ての人たちのことをもっと考えてほしいものです。