世界史オンライン講義録

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032 北伐と中国共産党の動向(教科書347ページ)

「外国を追い出す前にもっと直さなきゃいけないものがあるんじゃないのか?ということに気づくんですよね。それが当時の中国の政治です。当時の中国は,中華民国と呼ばれてますが,全然民のための国でありませんでした。むしろ軍閥という一部の軍部が権力を握っている状態なんです。一部の軍部が権力を握ってヨーロッパや日本とくっついて賄賂を受け取ったりして,自分たちの政権維持に力を注いでいるので,「ちょっと待ってよ!そいつらがいる限り,外国を追い出すことできねえんじゃねえか!!」ってことに中国の国民は気づきます。外国を追い出す前にまずは国内を立て直さなければならないので,そこで北伐と言って「北京の軍閥政権を潰しに行こう!」そして「民衆のための国づくりをしよう!」ということで,まずは外国を追い出そうというプロセスに至ります。ただ,その時に将来中国をどういう国にしていくかを巡って喧嘩して切り離された中国共産党という連中もいるんですが,こいつらが一体どういう動きを中国で取るのか注目していただきたいと思います。

 

北京にいる軍閥を倒せ!

孫文の死 

まずポイントの一つ目は、「北京にいる軍閥を倒せ!中国民衆に力を集めよ!」といった動き見ていきたいと思います。1925年、中国国民にとっては非常にショックな出来事が起きました。それ、中国国民のリーダーであった 孫文の死です。

そして,孫文が死んだ年に、さらに民衆を怒らせる出来事が発生したんです。それが上海の日本人が経営する紡績工場で、労働者がストライキを実施します。そして、この労働者のストライキに対してさらに抗議運動が盛んになり、たまたま居合わせてしまったイギリス人の警察官が,そのデモ運動に発砲してしまったのです。「文句を言っただけなのに労働者が射殺されたぞ。ふざけるんじゃない、外国!そして、なぜ軍閥政府は黙ってるんだ!」ということで、再び全国的な反帝国主義運動が拡大します。これを五・三〇運動と言うんです。

しかし、これってある意味チャンスだと思いませんか?五・四運動の時に中国民衆の怒りはぐっと上がりますが、1、2年経つと徐々に徐々にその怒りは沈んでいきました。ところが、孫文が死んだ年にもう1回その怒りのボルテージが再燃したのです。これ今チャンスですよね?中国民衆を巻き込んで「外国出てけ!弱腰な軍閥を倒せ!」という動きを取るには最適なタイミングです 。そこでいよいよ動きます。

 

北伐

そこでいよいよ北伐がスタートします。この北伐なんですけれども、まず国民党共産党は,広州国民政府というのを樹立して、「北京にいる軍閥を倒せ!」ってことで南から北にどんどん上がっていく,この動きを北伐と呼ぶんです。そして、彼らがまず最初に拠点としていたエリアは,どの辺か地図で確認をしましょう。

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今,国民党と共産党が力を合わせた状態で中国の南側・広州に拠点を置いてます。これを広州国民政府といいます。そして、ここから2つのルートを取って北京に向けて進んでいきます。ちなみに、倒すべきは北京にいる軍閥です。その軍閥を倒すために2つのルートで進んでいくということを覚えておきましょう。それにしてもなぜ2つのルートなのでしょうか?と言うのも,いま国民党と共産党が力を合わせている状態なんですが、実は本心から言うと,共産党のこと嫌いな連中もいるんです。それが国民党の右派と呼ばれる指導者蒋介石です。この国民党右派というのは 「どちらかというと共産党のことが嫌い!」でしてこれを反共的という一方,「共産党のことを受け入れてあげよう」というのが,国民党左派容共派といい指導者は汪兆銘です。だから,国共合作ではあるものの,実は共産党のこと嫌いな連中もいたから別ルートで進んでいくというやり方を取ったんですね。

 

上海クーデター

そして,この後、蒋介石率いる軍隊がとんでもない出来事やらかします。それが上海クーデターです。この上海クーデターというのは,共産党のことを嫌いな蒋介石が,上海の街に入った時,なんと共産党員を虐殺してしまったんです。しかし,なぜ蒋介石はそこまで共産党のことが嫌いなのでしょうか。実は,この背景には,帝国主義勢力いわゆる社会主義が嫌いなヨーロッパ・アメリカ,そして地主もとい浙江財閥といった金持ち連中が蒋介石のバックに付いていたからです。実は蒋介石も金持ち連中である浙江財閥の一人だったのです 。そう!金持ち連中からすると社会主義共産主義という考え方はどうしても受け入れられないってことは勉強してきましたよね。

  • 金持ち連中「おい!蒋介石!!お前まさか本当に共産党と一緒に北京に行くわけじゃないよな?」
  • 蒋介石「もちろんです!僕,共産党嫌いですから」
  • 金持ち連中「じゃあそれを見せてみろよ!ちゃんとアピールしろ!共産党なんかの力を借りるんじゃない!」

っといったところでしょうか。そんな結果,蒋介石は上海でクーデターを起こすんです。そして,共産党を虐殺します。この結果,国民党と共産党の関係は急速に悪化します。そして,蒋介石は,続いて南京国民政府を樹立したんですね。もうすでに上海クーデターによって,国民党と共産党は仲間割れを起こしているので,残った国民党のメンバーが,南京国民政府というの作るのです。このように広州国民政府からスタートして,2つのルートで北上して行くんですが,蒋介石上海クーデター起こしました。そして,新しくこのエリアに南京国民政府というのを作ったんです。そして,この別ルートで行った国民党左派を呼び寄せます。「おい!国民党左派!戻ってこい!」と蒋介石。そこで,国民党左派はしかたなく南京国民政府に合流していきます。この時点ですでに国民党しかいませんよね。共産党は散り散りになって逃げ出しましたから,国民党だけで南京国民政府を作り,目指すは北京の軍閥政権を打倒することにあるんです。

 

さて,当時の北京にいた軍閥政権は奉天と呼ばれ,日本の操り人形でした。万が一軍閥が倒されると日本に有利なように働かないかもしれない,ということで日本政府は焦りました。なんとしてでも蒋介石の北伐を倒しておきたい。そこで,日本は山東出兵を行ったんです。日本は,山東出兵を行って北伐軍を邪魔しようとします。居留民の保護を名目に軍隊を動かしたんです。

 

南京国民政府からどんどん北上していこうとする蒋介石,これをなんとしてでも邪魔したい日本は,山東出兵して邪魔しようとしたんですが,これを蒋介石は見事にひょいとかわして,ついに北京に入ったんです。北京に入りますと,いよいよ軍閥政権打倒の瞬間です。このように日本の妨害を振り切った蒋介石ですが,北京に入りますと当時の北京の軍閥のリーダーであった張作霖は「俺は蒋介石に勝てる気がしない」と漏らしてそのまま北伐軍に敗れて逃亡します。その張作霖が逃げる途中に消された事件を張作霖爆殺事件奉天事件)といいます。これはただの事故かというと違います。これは当時中国の遼東半島付近に駐留していた日本の関東軍によって張作霖は消されてしまったんです。その為,張作霖の子が新しい軍閥のリーダーになります。それが張学良です。張学良は「軍閥を守るためにもこれ以上蒋介石と戦っても仕方がないんだ!」と言って,北京を解放し北伐軍に降伏します。これで北伐は完了。こうして将介石率いる国民軍が軍閥を倒し,いよいよ権力を自分の手に集めることに成功したんです。

 

上海クーデター後の共産党

さて,蒋介石に裏切られ上海クーデターで多くの仲間を殺されてしまった共産党はその後どう動いていたのか見ていきましょう。上海クーデターで国民党と喧嘩別れした共産党ですが,彼らは都心部から活動拠点を農村へと移していきます。その際,作られた軍隊のことを紅軍と言います。ちなみにこの赤というのは共産党共産主義社会主義の考え方を象徴するカラーを赤で表現します。そして彼らは,中華ソヴィエト共和国臨時政府というのを新しく自分たちでつくるんです。リーダーは毛沢東です。活動拠点は瑞金です。中国共産党の人達は,都市から離れて田舎の農村部,特に農民たちに対して自分たちの考え方を理解してもらおうとし,徐々にに貧しい農民たちから支持を獲得していったのです。蒋介石としてはこれが非常に気に食わないんですよね。「まだいたのか?あいつら!これ以上活動するなら本気で全力で潰しに行くぞ!!」といって,国民党と共産党の関係はますます悪化していきます。